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UN-GO各話感想⑤ 第9話-第11話(終)

2013.01.12 22:49|UN-GO
 然し、真理といふものは実在しない。即ち真理は、常にたゞ探されるものです。
 (第11話予告ナレーション/坂口安吾『余はベンメイす』より)

 とりあえずはここで一区切り。

 ※事件の真相と「因果論」のネタバレあり。
  
   ***

第9話「海勝麟六の犯罪」
原案:『冷笑鬼』『赤罠』(『明治開化 安吾捕物帖』)
脚本:會川昇 絵コンテ:和田純一 演出:京極尚彦

第10話「海勝麟六の葬送」
原案:『冷笑鬼』『赤罠』(『明治開化 安吾捕物帖』)
脚本:會川昇 絵コンテ:木村隆一 演出:高橋健司

第11話(最終話)「私はただ探している」
原案:『冷笑鬼』『赤罠』(『明治開化 安吾捕物帖』)、『余はベンメイす』
脚本:會川昇 絵コンテ:長崎健司、水島精二 演出:清水久敏


~あらすじ~
 刑務所の事件解決後、別天王は行方不明に。
 そして“フルサークル”を名乗るハッカー集団が海勝麟六のスキャンダルを吹聴し、それをめぐるTVの討論番組に麟六本人が生出演することに。しかし、その収録現場で謎の爆発が発生。麟六は一命を取り留めるが、彼への疑惑は増大する。さらに梨江はその日、TV局にいたはずの麟六を自宅で目撃していた。
 新十郎は、麟六こそが別天王を所有し幻覚をみせていたのではないかと疑う。同じくして、因果までもが姿を消す。
 事態が錯綜する中、新十郎は国会の証人喚問を利用して麟六への追及をこころみる。紛糾する議場は、思わぬ事実を明らかにすることに・・・。

 この最終三部作では、ついに海勝麟六と彼をめぐる社会状況が前面に押し出され、また作品テーマの根幹に迫る物語になっている。


・収束していく物語

 第9~第10話にかけてはこれまでの話数で出てきたキャラクターやモチーフが一斉に再登場してきて、「最終回感」を盛り立てている。
 第2話で禁止歌を販売していた小山田へのフルサークル絡みの詰問から話が始まり、第6話の矢島氏が麟六の見舞いに訪れ、麟六の鼻歌は夜長姫の曲で、第7・8話の“小説家”がレクター博士よろしく新十郎に講釈を垂れる。脚本の初稿段階では、第3・4話の佐々家が出てくる一幕もあったようだ(脚本集参照)。
 しかもこれらの要素はただの顔見せではなく、全て話の展開に密接に絡んでいる。
 『UN-GO』が、一話(または二話)完結の連作推理モノという体裁をとりながらも、全体としては一つの一貫性ある物語なのだということが改めて印象づけられる。


・「いま、ここ」の先

 新十郎は議員の倉満美音と組んで、麟六に質疑応答を行う国会招致を計画する。入院中の麟六と国会を繋ぐ中継システムに音声を発声ソフトのものに変換する仕掛けを挟み、別天王の能力が発動できない状況にして、麟六から真相を聞き出そうという算段だ。

 当日の中継で、TV局爆破事件が麟六の擁するマイクロウェーブ送電によるものではないかと問い詰める倉満議員。
 対して麟六は、2001年のあるテロと2011年の大災害を例に挙げ、いつの時代にも自分の範疇を超えた災いに陰謀論を当て嵌めようとする者がいたことを指摘する。
「人は、真実は隠されていると考えがちだ。そして自分だけは、その真実に辿りつけると信じる者がいる。だが、真実など無数にある。たった一つの真実で満足するのはそこで考えるのを止めることに過ぎない、・・・のではないでしょうか」

 ここで、本作は改めて強烈に視聴者が生きるこの現実の世界と繋げられる。9.11、3.11、我々の認識を揺さぶる出来事が続く現実の少し先の社会を描いたのが『UN-GO』なのだ。
 麟六の、彼のはじめての怒りの表情とともに発せられた「メディア越し」の言葉は、作品内の衆人に、探偵・新十郎に、そして作品外の視聴者自身にも問いかけられている。

 直後、麟六のJJシステムが戦時中に構築したコンピュータファイル改竄ソフトの存在が暴露される。これも、現実の2010年に発覚した、大阪地検の証拠ファイル改竄にインスパイアされた設定だという(脚本集各話解説より)。

 そして海勝麟六は車ごとの爆発で死亡してみせる・・・。
 この状況の混迷ぶりは、第7・8話の事件にも匹敵するだろう。 


・謎解き

 最終話。新十郎は死んだはずの麟六からの招待を装って、事件現場に関係者一同を集める。
 そこで行われる謎解きで、複数の真犯人が明らかになる。今までの話数では、事件の犯人はたいていただ一人で、協力者がいることはあっても添え物程度だった。そもそも、第6~8話では単純な事件モノとしてのフォーマットがほとんど解体されていたので、こうした「いかにも」な謎解きの場自体が久しぶりだ。
 今回の事件は計3人の複数犯の各々の行動によって引き起こされており、そこに麟六の死の偽装と新十郎の仕掛けが交わって、結果、かつてないほど複雑な構造となっていた。
 それが会話劇によって解きほぐされていく展開には、静かなカタルシスがある。

 そして三人目の真犯人/別天王の所有者の開示とともに、別天王との対決・・・というよりその存在の解体へとフェーズが移される。


・「別/天王」

 別天王は作中で幾度も神に擬えられてきた。
 そうした虚飾の言葉こそが、別天王の正体であり能力の本質だと新十郎は看破する。
 「あいつは、出来損ないのミダマ・・・またの名をコトダマ〈言霊〉」

 ここで、言葉そのものには本質はないとする新十郎のスタンスは、作品的にかなり重要なポイントだと思う。
 言葉は人の思いが込められ、相手に強く影響する。しかし言葉はあくまでも情報伝達の手段、表象なのであって、それ単体で成り立つわけではないのだ。
 だから、言葉を現実にみせかける別天王に対して、ミダマを言葉として引き摺り出す因果の能力にも、同じだけの問題点がある(それは「因果論」にてクローズアップされている)。

 新十郎の主張と前後して、別天王の幻による偽物の後から現れた、本物の麟六も言う。
 「人間から神を取り去ることはできない。だが、神とされるものに額づくことによって、それを神たらしめ、人民に押し付けることは可能だ」
 これも、新十郎と同じく別天王の神格を崩す言葉だ。
 権力者・為政者の「○○は神だ」という言説こそが、対象に権威をまとわせ、人民への影響力強制力をもつ、と・・・。

 そして、これらの言葉を現実に参照すれば、別天王が天皇(制)のメタファーとして構築されたキャラクターだということが分かる。厳密にいえば、天皇含めた全ての「神とされてきたもの」のメタファー。古くから為政者の言葉によって神として祀り上げられ、人々への影響力を発揮してきた存在でありシステム。
 事実、前述の麟六の科白は例によって坂口安吾のエッセイからの引用で、そしてその元の文章は安吾が天皇の在り方について言及したものだ。

 (人間から神を取り去ることはできない。そのやうな人間の立場をも否定しては政治は死ぬ。日本と天皇の関係が神の問題に相応するかどうかは今後の問題だが、一応天皇をたゞの人間に戻すことは現在の日本に於て絶対的に必要なことゝ信ずる。/『天皇小論』より)

 (自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等(注:前文中で藤原氏や将軍家のことを指す)は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。/『続堕落論』より)

 まあ別に、本作がこうした展開や科白から何か天皇制への建設的な批判をしようとかそういう意図があったわけではないだろう、ということだけは、念のため言っておく。このブログにそのテの方々を釣り上げるほどのアクセス数はないから杞憂だろうけど。
 ただそうあるもの、としての描写だ。

 また、こうした神、戦争、社会を交えた會川昇脚本のテーマ性は、本人の弁では『神狩り』『弥勒戦争』山田正紀からの影響が強いのだという(『本格ミステリー・ワールド2013』収録の鼎談より)

 別天王と因果はともに化け物の姿となって相まみえ、激しい攻防の末に(亀田祥倫中村豊による戦闘作画に注目!)、因果が別天王を喰らい尽くす。
 ミダマ(心)に回収されていくコトダマ(言葉)。
 この、人間の善悪ひっくるめた真意に空疎な言葉は勝てないという展開は、なにげに「因果論」ラストの再演でもあり。
 そして因果の中で別天王が、自殺を図った真犯人に向けてはじめて自分から発した言葉が、「生きよ、堕ちよ」だったというのは味わい深い。勿論、坂口安吾の『堕落論』がベースになった科白だ。


・“本当”を求め 「“嘘”でもいいから」なんてね

 この最終エピソードでは、自分の願いや目的のために情報を歪曲する人々の姿が描かれてきた。
 ある者達は、敵視する人物を貶めるために陰謀や兵器開発の疑惑を煽った。ある者は、社会正義を成すために事実の捏造・隠蔽に目を瞑ってきた。ある者は、意中の人の好意を受けるために別人に成り済ました。

 この三話だけではない。第1話から最終話まで、描かれているのはある意味全部同じ事だ。
 英雄を英雄のままにしたいがためにその人を殺し、夢を叶えるために罪を犯した結果として夢は潰え、自身の善悪含めた欲望を全肯定したようで密かな善性を見失う。犠牲者に美しさを見ようとして自分の正当性と一緒くたにし、目の前の現実に必死になっていてもそれは夢で・・・。
 
 真実を求めるが故に、現実を欺き事実を捻じ曲げ、結果ますます真実から遠ざかっていくというジレンマ。
 そんな事件と人々を渡り歩く新十郎もまた、ミダマ≒真実を追究するあまり時に事実を読み違え、事件と自身の内面を呼応させてしまい戸惑うことも多々ある。

 そうした人間達の不毛な宿業が描かれた曼荼羅の中心に、まさに一国の社会レベルで情報操作を行ってきた海勝麟六という存在が置かれている。そして麟六もまた、クライマックスでその胸に宿す理想を覗かせる。彼は、そのために犠牲や欺瞞を生んでいることに極めて自覚的だ。だからこそ彼は誰よりも卓越したポジションにいられるのだろう。
 第6話で「真実は常に一つだろうか」と呟き、第10話で同様のことをメディアを通じて大々的に言い放ってみせた海勝麟六。彼は事件の度に真実を蔑ろにするが、実のところその多様性を認めている。そのうえで個々の真実に固執することには価値を見出さず、社会にとって都合が良く大衆が好む最大公約数の真実=美談を演出するのだ。功利主義、「最大多数の最大幸福」の考えに近いか。 

 事件解決のためにはからずも共闘のかたちをとることになった結城新十郎と海勝麟六だが、終わりに二人はあらためて対立する。
 新十郎は麟六がやはり直接的な犯罪に手を染めていたのではないかと示唆するが、みかねた梨江に止められる。麟六はその件については答えない代わりに、人は大義名分や方便に頼ってでも少しずつ向上していくしかない、と言う。
 新十郎はそれも否定し、堕ちる人間の善悪美醜にこそ価値を見出し、そのためにミダマを暴くのだと改めて宣言する(脚本集の各話解説で指摘されているが、この時の両者の科白もまた安吾作品からの引用だ。テーゼとアンチテーゼの衝突ではなく、どちらも含んで坂口安吾のパーソナリティを映した一つのテーゼの提示なのだと言わんばかりに)。

 この作品において「真実」とは、単に真犯人やトリックなどの事件の客観的事実というだけではない、もっと内面的な意味をもつファクターだ。
 皆が求め、しかし誰も決して辿りつけず掴み取ることのない、「ただ探されるもの」としての真実。
 それをこの最終エピソードで再確認したうえで、それでもそこに至ることを目指し、新十郎はこの堕落した現実に留まって(UN-GO)ずっと探偵業を続けていくのだろう。

 麟六との対峙後に描かれるのは、新十郎と梨江の一旦の別れ。
 このシーンは第1話の終わりと対になっている。あの時は地下駐車場で、新十郎と因果が梨絵から歩き去っていき、彼女はその場に取り残された。そしてこの最終話では、梨絵が麟六とともに車に乗せられて新十郎達から遠ざかっていく・・・(また、このシークエンスでも新十郎が「車に乗れない」ことが強調されているように思う)。


・ラストシーン

 第1話アバンの「地下」の場面から始まった物語は、最終話では「屋上」にて締め括られる。
 前場面でかなり決定的に別たれてしまったかに思われた新十郎と梨絵だが、二人は後日あっさり会っている。
 梨江は呼びつけられた用事を問いただして「またお父様の悪口?」と言う。そんな風に(あくまで言葉の上でとはいっても)彼らの対立を片づけてしまえる彼女こそが、何だかんだで実は劇中最も器の大きいキャラクターなのかもしれない・・・。あるいは、そう言えるまでに地味に成長していたというか。

 最後のED曲が流れる中、新十郎は、今まで隠していたこと・・・因果との関係は何なのか、自分の過去に何があったかを梨江に語り始める(その内容は「因果論」にリンクして、「因果論」は前日譚であり最終話の続きであるという奇妙な円環構造を成す)。
 かつて自らの夢と本心を根こそぎ失い、公的過去も封殺されてしまった結城新十郎。それでも彼が自分の過去を物語として梨江に語るに至る、という展開には、人はどんな状況に追い詰められたとしても物語を奪い去られることはない・・・なんてメッセージが嗅ぎとれる、かな?
 それは、ある人物が歌い出そうとするところで終わった第2話のような。だからもう一度、あの話数での、新十郎の科白の安吾のエッセイからの引用部分とその続きをここに写そう。

 (たゞ、あたりまへの話だ。人は死ぬ。物はこはれる。方丈記の先生の仰有る通り、こはれない物はない。
 もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。
 私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ〲の物を。それより外に仕方がない。
 それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。
/『余はベンメイす』より) 

 梨江は微笑んで新十郎の話に聞き入り、彼の横で因果は眠りこけ、風守が少し離れたところに立つ。
 そして新宿の街が少しずつ復興していく様がはじめて描かれる。
 屋上菜園から、ミダマの象徴ではない本物の蝶が飛び立つ。それを見たのは、一介の人工知性だけだった・・・。


  

   ***

 さて、前日譚の映画「因果論」を残しているものの、『UN-GO』TVシリーズ本編の各話感想としてはこれでお終いです。
 しかし「感想」と銘打ちながら、やってることはストーリーの概略と元ネタの引用確認ばっかりだったよね・・・。まあ、評価を下すよりまず「自分は何を見たのか」を今一度ちゃんと捉え直したかったというか。ダブルミーニング、トリプルミーニングが当たり前なほど重層的な各要素を考察するのはとても楽しかったです。

 『UN-GO』スタッフ&キャストの皆様、本当に面白い作品をありがとうございました。

 また、今までのブログ記事を書くにあたって、『アニメスタイル』より刊行された脚本集、ラジオ「そこ☆あに」のスタッフインタビュー、ほか各雑誌での特集等、多くの先行資料が大変参考になりました。勝手ながらお礼を申し上げます。
 そして何より、ここまで読んでくれた&コメントをくれた閲覧者の皆様に心よりの感謝を。


 追記:こうして一作品の各話感想というものをやってみて、これをリアルタイムで毎期続けている他のアニメブログの方々の苦労が身に沁みて分かり、そしてそのバイタリティに敬服しました。でも、それ以上の楽しさもはっきり分かりました。いずれまた時間をつくって他作品でもやりたいです。
 というかまず「因果論」感想を書かなくちゃなんだけど・・・。

   ***

参考資料
坂口安吾『余はベンメイす』『天皇小論』『続堕落論』ほか
會川昇『UN-GO 會川昇脚本集』株式会社スタイル 2012.4
「[座談会]UN-GOと探偵小説 會川昇×笠井潔×小森健太朗」『本格ミステリー・ワールド2013』南雲堂 2012.12
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テーマ:アニメ・感想
ジャンル:アニメ・コミック

tag:UN-GO 坂口安吾 水島精二 會川昇

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