絶テン・新世界より・サイコパス――ディストピア・アニメ3つ

2013.03.27 15:05|比較考察
 2012年秋~2013年冬クールにかけて放送中の2クール・アニメ作品『絶園のテンペスト』『PSYCHO-PASS〈サイコパス〉』『新世界より』を、「ディストピア」の観点からちょっと考えてみようという記事です。

 僕自身、SFやディストピアについてことさら詳しいわけでもないので、論旨や題材に間違いがあれば遠慮なくご指摘お願いします。ていうかおススメのディストピア作品とかあったら教えてください。
 
 ※2013.3.27 『PSYCHO-PASS サイコパス』『新世界より』の最終回視聴後の感想を追記しました。当然ネタバレあり。
 『絶園のテンペスト』も終了次第追記予定。
   
 
    *** 

・「ディストピア」の定義

 そもそも、「ディストピア」とは何ぞや。

 「ディストピア」は、「ユートピア」のアンチテーゼとして作られた概念だ。なのでまずは「ユートピア」の原点をおさえておこう(あれ、早くも脱線してね?)。

 ユートピア(Utopia)。理想郷。空想社会。
 「ユートピア」という言葉は、発祥までたどると、まさに『ユートピア』という作品を書いた思想家・法律家トマス・モア(英・1478~1535)による造語だという。「どこにもない場所」を意味する「ウ(=ギリシア語の否定詞)・トポ(=場所)」をベースにした単語。
 モアが生きた15~16世紀ヨーロッパは大航海時代であると同時にイタリア・ルネッサンスによるヒューマニズム(人道主義)が隆盛した時代であり、人間のあり方を見つめなおそうという思想的風潮があったそうで。そしてモアはローマ・カトリック信仰に篤く、父親は仕事の法律組合に携わっていて法制の知識に恵まれ、自身も法律家への道を歩むことになり。そんな環境と来歴のなかで、モアは「ユートピア」なる概念を発明し、それを題した作品を書くに至ったわけですね(参考:長江弘晃・星昇次郎「ユートピア展望 : ユートピアの原点、そして現在から未来へ」)。
 『ユートピア』(トマス・モア)は、探検家が島国「ユートピア」で見聞きしたことをモアとその友人に語るという体裁で、ユートピア島の家父長制や奴隷制と近代的な福祉生活が共存する(当時の人々にとって)理想的で幸福な社会の在り方が描かれた。
 そして本作は以後の作品や思想に多大な影響を与え、「ユートピア」文学という創作ジャンルが築かれる、と。

 時代は下り、科学・産業革命を経た近代に入ると、ユートピア文学では未知の場所としてのユートピアに代わって、現実の場所であり科学や飛躍的・理想的発展を遂げたユートピアを描くようになる。
 そして19世紀末期から、そんな一見理想的な社会が人々を支配・抑圧し苦しめている姿を批判的に語る、反ユートピアの物語―――すなわち「ディストピア(Dystopia)」作品が登場してくる。「カコトピア」という表現もあり、日本語訳では「暗黒郷」「絶望郷」とも。そこには、実際に進展した科学や近代思想が、戦争、貧困、閉塞感、環境破壊といったネガティヴな現実を招いていて、進歩・科学への疑念や批判が生まれてきた、という社会背景がある。ディストピア文学は、作品世界の社会の描写を通じて、現実の社会を批判・警告する。

 そしてひとくちに「ディストピア」とは言っても、そこには多種多様な類型(パターン)がある。技術や理性主義によって社会が隅々まで統制されているもの、逆に何らかの要因で文明が崩壊し無秩序化してしまったもの、あるいは社会がその崩壊・衰退の中途にあるもの、主人公が社会を破壊するもの/結局取り込まれるもの・・・。
 また、「ファンタジー」「恋愛」「アクション」など他ジャンルと複合した内容だったり。そもそも「SF」の体系下にあるジャンルであるとも言えるし。

 ディストピアの主人公は,よそからやってきた訪問者ではない。つまり新世界と客観的に距離を保つことのできるアウトサイダーではなく,その社会で生きる一人の人間である。読者はこの主人公の主観と彼/彼女に起こる出来事を通してその社会について知ることになる。自分の置かれている環境に不満足で,煩悶し,憤り,もがき苦しむ主人公の価値観や道徳観は,大抵読者のそれと似ているように設定されている。
茂市順子「多相化するディトピア -Iocleworle Orange(1962)再考-」より)

 つまり、ディストピア作品ではその社会に苦しむ個人の描写が必須で、したがって読者(視聴者)と同期した個人的・内面的物語が描き易い傾向にあるってことですかね。 

 そんなディストピア作品の有名どころでは(本格的に挙げればもうキリがないですが)、『タイム・マシン』(1896)、『素晴らしい新世界』(1932)『一九八四年』(1949)、『華氏451度』(1953)、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968)、など。メディア産業が盛んになる20世紀半ば以降は多くの傑作有名作が映像化されていった。
 日本のものでは、星新一のショートショート群、『復活の日』(1965)、『風の谷のナウシカ』(1982~)、近年では『NO.6』(2003~)、『ハーモニー』(2008)とか(この辺のチョイスは僕のシュミだなw) え? 山田悠介? 知らんな。

 さて、こうしたユートピア/ディストピアの基礎知識をふまえて、今期2013年冬に放送中の3つのディストピア(を舞台にした)作品を考えてみようというわけです。やっと本題だよ。
 ていうかこの3作品がディストピアものなのかどうかってこと自体に議論の余地がありそうだけど、まあとりあえずここでは。
 
   ***

・『PSYCHO-PASS サイコパス』

 “シビュラシステム”により、人間の精神状態が“PSYCHO-PASS”として計測・数値化されるようになった未来。PSYCHO-PASSの犯罪係数が規定値を超え“潜在犯”となった者は、公安局の刑事が携えるシビュラ端末銃“ドミネーター”によって即時量刑・執行される。
 ある日、公安局に新人の“監視官”常守朱が配属され、彼女は“執行官”狡噛慎也と出会う・・・。

 第18話まで鑑賞。
 制作・ProductionI.G、総監督に本広克行、ストーリー原案・脚本に虚淵玄、キャラデザに天野明と、異例の組み合わせが話題を呼んだオリジナル作品。
 ストーリーは、毎話の展開はショッキングで目まぐるしいものだが、全体としては古典的なディストピアSFのセオリーに則ったオーソドックスな物語。キャラ自らフリィップ・K・ディックをリスペクトしてたりね。

 僕は、正直、最初の頃は本作にあんまりノレてなかったんですよね。
 「犯罪係数規定値オーバーの執行官」という設定から、彼らをそれこそレクター博士とかリスベット・サランデルみたいな奴らなのかと期待していたので、いざ登場すると皆わりと常識的で良い人だったので肩すかしを喰らったというのが大きかったかな。でもそれは逆説的にシヴュラシステムへの疑念を想起させる要因なわけで。
 2クール目に入ってからは、常守朱のもうヒロイックといって差し支えない成長ぶりが発揮されてきて、素直に楽しんで観てます(第18話の「そのドミネーター、故障してますよ」とか、痺れたね!)
 視聴中断しないで良かった。

 また本作は『劇場版BLOOD-C The Last Dark』を手掛けた塩谷直義監督の作品でもあり。
 劇場版BLOOD-Cで舞台となる東京は水面下ではラスボスの支配下にあり、青少年保護条例がしかれて若者の外出も規制されている。つまり若干ディストピア化しているわけだ。そんな東京の街はCGやテクスチャを駆使した美麗な映像で描かれ、全体的に夜景が多い。そのビジュアルイメージは、同監督が次に携わったこの『サイコパス』の近未来の街の風景に通じるものがある。ラスボスと槙島さんもわりと似てるしね。
 『BLOOD-C』の小夜が『サイコパス』の時代まで生き永らえていて・・・っていうクロスオーバー二次創作とかないかな?

・最終回視聴後感想: 
 終わりました。まー2クール目も何だかんだでツッコミどころはなくはなかったと思いますが、それでもほぼ毎話真っ先に視聴していて、「次、次を!」っていう引きの訴求力は格別な作品でした。
 
 本広克行が総監督ということで、『踊る大捜査線』との比較で語られることも多かった本作ですが、本広監督のフィルモグラフィーでみるなら、彼が監督をつとめた2007年放送の実写刑事ドラマ『SP 警視庁警備部警護課第四係』の要素も結構入ってるんじゃないかと思いました。
 警護課のSPが要人暗殺や破壊活動を目論むテロリストと戦いを繰り広げるというストーリー。全編通して主演の岡田准一と脚本の金城一紀が中心になって作り込んだアクションの数々が特色で、2010年からの劇場版二部作ではよりスケールアップしたアクションと物語の完結が観られます。
 このSP(要人を警護する・テロを未然に防ぐ)VSテロリスト(犯罪衝動を満たす・国家転覆が目的)の構図は、『RSYCHO-PASS』の公安局VS潜在犯に結構通じるものがあるんじゃないかと。
 そして主人公のSP・井上(岡田)はある体験で脳が活性化しているために視力・聴力などの知覚や記憶力が異常に鋭敏で、その能力により危機をいち早く察知したり犯罪者の悪意にシンクロしてその思考をトレースすることができます。一方でその副作用で、彼は次第に能力を暴走させ犯罪者の思考と一体化してしまったりして、脳神経を病んでいきます。この一連の要素も、潜在犯を追ううちに自らも精神色相を悪化させて同等の存在になってしまう公安局の面々に重ねることができるでしょう。
 そして前述のアクション要素も、『RSYSHO-PASS』の緊迫したアクション描写と同じ指向性のものです。
 まあ、『SP』の作品性はやはり岡田と金城の意向がメインで、本広は監督というかあくまで調整役のそれこそ総監督的ポジションだったので、『SP』から『PSYCHO-PASS』へ設定が直接流用されてるとかそういうことではないですが。犯罪係数云々の設定は虚淵玄からの発案だと聞くし。
 それでも似通ったところは多い両作なので、どちらかにハマった人には是非もう一方も観てみることをおススメします。音楽も両方菅野祐悟さんだし、メインテーマとかすっげー似てるヨー。

 ・・・ってこれじゃただの『SP』の宣伝だ!?
 『PSYCHO-PASS』本編については、えーと、まあ順当なラストだったかなあという印象です。社会、人間、法の関係性を、常守朱の等身大の成長に乗せて描き出したのは好感触でした。だからこそ、狡噛と填島の対峙から最後の最後で締め出されてしまったのが歯痒いけれど。
 それにしても、研究所の最終決戦で六合塚弥生があからさまにハブられてたのはファンとして納得いかねえ! エピローグの言葉とか、彼女の意義として筋は通ってても出番なかった愚痴にしか聞こえないよ!
 そういう意味も込めて、続編希望です。シビュラシステムの真実は余すところなく明かされてしまって世界観の謎解き要素は消化しきってしまっているけれど、そういう閉塞した状況の中、常守たちがどう闘っていくのかは見てみたい思いがあります。


・『新世界より』

 現代より千年後の日本。そこでは人間はすべて“呪力”と呼ばれる超能力を宿し、全国に点在する小さな地域社会で生活していた。そのコミュニティの一つに生まれた渡辺早希とその幼馴染たちは、成長していく毎にその社会の闇を垣間見る。
そして彼らが大人になった時、最大最悪のタブーが破られる・・・。

 第20話まで鑑賞。
 原作は同名の小説。
 10歳~14歳時代は管理社会に生き育っていく子ども達の目線で描かれ、26歳時代では彼ら成長して社会に地道にコミットするようになり、やがてその崩壊に立ち会う・・・という風に、徹底してそこに生きる市民の目線でディストピアを描く作品ですね。特に、思春期の冒険と別れの連続は、ディストピアの闇に触れることが成長の節目/イニシエーションと一致していて、普遍的な青春物語としても自然に置き換えられるなあ。
 今放送中のバケネズミ反乱のエピソードにしても、社会への信頼など露と消え突然のテロや災害を日常的に意識せざるをえなくなった今の日本の物語として、わりと身近で的確ものだと思います。

 ちなみに原作読んでからだと、スクィーラ/野狐丸が主人公でもあるんだよな、この話。ある意味『コードギアス』のルルーシュっていうか・・・。

 で、かめラスカルさんのブログでも指摘されていたことですが、、『新世界より』でも『サイコパス』でも、その社会の統治者(の一員)として君臨するキャラクター(倫理委員会議長:朝比奈富子、公安局局長:禾生壌宗)のCVに榊原良子がアテられているのは面白い現象だなあと。何ですか、女性の上司・支配者には榊原良子っていう文脈でもあるんですかね(ハマーン様効果? ってか、単に業界が狭いだけか?)。

・最終回視聴後感想: 
 本作も、『PSYCHO-PASS』と同じく、物語の舞台であるディストピアの真実を暴き、主人公はそれをすぐさま破壊するのではなくあくまでもその社会下で生きていくことを選び、抵抗の意思を抱え次代に希望を託す・・・というラストでした。これが近年のディストピアもののトレンドっつーか、雛型なのかなあ。社会の悪を打倒してハッピーエンドってのも今じゃリアリティないもんなあ・・・(でもそこを上手く成立させようとしているのが絶テンで・・・まあいずれ最終回後に追記)

 ちなみに、地域社会学や都市政策では「コンパクトシティ」っていう構想があって。自分なりにまとめると、近年の人口減少・郊外化に対応して、居住地をむやみに拡大せず小さく保ちインフラをまとめ、人口密度、コミュニティ、交通網を集約して活性化させようという取り組み・・・って感じかな。
 『新世界より』の地域の在り方は、その延長線上にあるように感じました。で、自分が思うコンパクトシティの欠点に、コンパクト化しても他地域と連携してないと自分とこだけでカバーできない暴動や災害が起きた時に詰みじゃないかというものがあり、それがまさに本作2クール目で描かれていたので、すごく引き付けられて観てました。
 主人公が後に他の地域との交流を再開したのは、そういう観点からも正解。
 
 それにしても、今となっては本作の「偽りの神に抗え」ってコピーが皮肉過ぎる・・・。
 数々の設定が、初見でさえ不気味なものだったのに、最終回後の今では全てがおぞましいものに見えてしまうという・・・これも原作者の狙いだよなー。うえー。


・『絶園のテンペスト』

 富士樹海での舌戦の果てに鎖部一族の姫君は甦り、絶園の魔法使いは覚醒し、そして“はじまりの樹”が世界を覆した。
 樹に支配された世界の命運を握るのは、姫と少年達と死んだ少女が織りなす恋模様!?

 第19話まで鑑賞。
 今期、っていうか前期から一番ハマってる作品。
 これは非常にジャンルの括りが難しい作品で、前期1クール目では最初は厨二魔法アクションといった感じだったのが第8話からはギャグすれすれの屁理屈合戦が何話にもわたって繰り広げられ、2クール目以降はラブコメだったりSFだったりやはり魔法アクションだったりと忙しいことこのうえない(書いててもわけ分かんねーよ)。
 それでも、2クール目の、何十億人という人命を奪いながらも超常の力で多大な恩恵と安全を授ける「はじまりの樹」に支配されてしまった世界で、その中枢の力と運命を握る者が樹に戦いを挑む、という図式はまぎれもなくディストピアものの一類型だと思うわけです。

 先に述べた2作品はディストピア社会が既に常態化していてそのうえで社会の破壊者と統治者/守護者の戦いが起こっているのだけれど、この『絶園』はディストピアの仕組み(はじまりの樹)が出現したばかりで、社会はそれを受け入れるか否かという議論に二分され、主人公たちはそれを破壊しようという意見でまとまっていきている・・・という対照的な現状。

 この物語がどんな結末を迎えるのかは、原作漫画も完結してないのでまだ分かりません。このペースで行くと、ハガレンFAみたくアニメと原作がほぼ同時完結なのかな?

 ていうか、やっぱり原典(『ハムレット』『テンペスト』)も読んでおくべきだよなあ・・・。
 今のままでもじゅうぶん面白いけど、既読の人の感想とか読んでると色々刺激的らしいし。

 (最終回視聴後に感想を追記予定)
 

   ***

 そして、去年のアニメだけれど、『ヨルムンガンド』も、「ディストピア」というテーマで見ると面白い。
 全体としては、武器商人・ココとその私兵たちが世界を又にかけて活躍する謀略アクション・エンタテインメントだ。
 が、終盤でその旅路はココが量子コンピュータと衛星を使って成す強制的世界平和=「ヨルムンガンド」計画を実現するためのものだったことが明らかになる。そして物語はココがシステムを起動する瞬間ですぱっと終幕。
 つまりこれは、「ディストピアが出来るまで」のお話と言えるわけだ。
 後半で加速度的にSFの領域に近づきながもギリギリのところで空論として自ら踏み止まり、しかしそうすることで最終回以後の世界のSF的物語(完全統制された平和か、計画が失敗した無秩序か・・・)を読者(視聴者)に想像させる、すごく挑戦的で面白い話作りだったと思う。まあ、ふつうに改めて「SF」として仕切り直した続編もみてみたいですが。あの後の世界観でなら主人公はまったく別の誰かでもいい。


 ・・・えーと、各作品を比較した結論とかは特に何もないんですが。
 どれも最終回迎えるまでは全体的な評価も確定できんだろうし。
 続きを書くとしたらそのための序論という感じで。はい。

   ***

参考文献
長江弘晃・星昇次郎「ユートピア展望 : ユートピアの原点、そして現在から未来へ」(英題略)『佐野短期大学研究紀要(22)』p41-59,2011 佐野短期大学研究紀要刊行会
茂市順子「多相化するディトピア -Iocleworle Orange(1962)再考-」『明治大学教養論集(432)』p77-102,2008 明治大学教養論集刊行会
「【特集】絶望郷(ディストピア)アニメ2012」『オトナアニメ vol.26』p50-107,2012 洋泉社

※上二つの論文は、どちらもciniiオープンアクセスまたは機関リポジトリからネット上でも読めるのでおススメです。
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テーマ:見たアニメの感想
ジャンル:アニメ・コミック

tag:PSYCHO-PASS サイコパス 新世界より 絶園のテンペスト

Comment

No title

最近のアニメは遅筆の漫画目当てのアニメ誌での記事しか知らない者ですが、「ディストピア」という言葉ここにたどり着きました。

 読んで気になった点は「ディストピア」として挙げられている作品の共通点が見えにくい点です。

管理社会が個人を縛る(作品の作られた時代で父親的に強権で従わせて支配する物と 母親のように誘導し支配するという差はありますが点)という面で挙げるならばオーウェルの「1984」やブラットベリーの「華氏451」、伊藤氏の「ハーモニー」やあさの氏の「No.6」は適切だと思います。(眉村氏の「産業仕官候補生」などのシリーズや徳弘氏の「狂四郎2030」、士郎氏の「アップルシード」などありますよね。)

しかし、その面で作品を見るならば「生物兵器がもれたことによる人類絶滅の危機」を描いた小松氏の「復活の日」は適切ではないと思います。東西の核の脅威云々がと指摘される方もいるかもしれません。が、これは作品の発表された「冷戦時代という人類を滅ぼしかけた20世紀の時代背景」を取り込んでいるに過ぎません。
同様な点でウェルズの「タイムマシン」は時間旅行で退化した人類を見たに過ぎず「管理社会」なんてものではありません。
宮崎氏の結局やきつくしてトンづらした「風の谷のナウシカ」にしても、火星にいけない地球に捨ておかれた人々が何にすがるかを描いたデイックの「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」も、「最終戦争(核戦争)後云々は…」あくまでも物語の舞台を整えるための理由だと思います。(生き残り社会の倦怠感をロケット打ち上げて万々歳なんて能天気ですし…)


 現代文明が崩壊し再建された文明社会を「ディストピア」と定義されているとしたら、それは「その社会の成立の背景」のみを見その社会の何が「人を縛っている」かを見逃していると思うのですが?
ディストピアの定義をもう少しはっきりさせて 他の作品を上げられた方がよいのではないでしょうか?

 最後に、昔はキューブリックが映画化したバージェスの「時計仕掛けのオレンジ」をディストピアとして観ていましたが、最近はもうそんな視点で観れなくなりました。

追記…いろんな意味で、核戦争後も中国秘法で元気に生き残る「北斗の拳」を雑誌連載で褒めていたミンキー芦田氏は凄いですよね。

>Doburoku-TAOさん

はじめまして、コメントありがとうござまいます。

丁寧なご指摘ありがとうございます。

>現代文明が崩壊し再建された文明社会を「ディストピア」と定義されているとしたら、
>それは「その社会の成立の背景」のみを見その社会の何が「人を縛っている」かを見逃していると思うのですが?
仰る通り、まだ自分の中で「ディストピア」の定義が曖昧でして。
『何が「人を縛っている」か』を見逃すというより、それも含めて、他諸々も「荒廃した未来社会」ならディストピアって読んでいいのかなと思って、「ナウシカ」や「電気羊」も例に挙げてしまったんですよね。あ、『タイムマシン』と『復活の日』は単に話の覚え間違いです・・・

やはり、「荒廃した未来社会」の中でもさらに「管理社会」「人を縛る何か」を描いた作品、というところまで定義として限定した方が良いのかもしれませんね。

『時計仕掛け』は、実は書く時にこれも挙げようかどうか迷ってました。Doburokuさんが今本作についてどう思われているのか気になります。

>父親的に強権で従わせて支配する物と 母親のように誘導し支配するという差
確かに、色々読んでみるとそういう分類も感じられますね。
たとえば『ハーモニー』は後者型かなと思いました。

> 追記…いろんな意味で、核戦争後も中国秘法で元気に生き残る「北斗の拳」を雑誌連載で褒めていたミンキー芦田氏は凄いですよね。
ていうか『北斗の拳』自体がそもそも相当な作品ですしw まあ現実に即した物語ばかりが良いとは言いませんが。
今アニメでやってる北斗もちょっと気になってます。

返信ありがとうございます。

返答ありがとうございます。

>『時計仕掛け』は、実は書く時にこれも挙げようかどうか迷ってました。Doburokuさんが今本作についてどう思われているのか気になります。

「この作品で描かれている社会を絵空事で笑えない、実現してしまう可能性がたかい」というのが正直な感想です。
 経済の破綻からくるモラルの崩壊(町の汚さや若者が荒れている様子)などもありますが、なによりも恐ろしいのは「ビックブラザー」のような「絶対的な強権を持つ存在」がいないことです。
 市民を管理する政府自体、さまざまな勢力の内部抗争があり、主人公に救いを差し伸べた勢力の目的は自身の勢力の拡大に過ぎなかったという…。しかも本人は更正する気はさらさらないときている(まぁ、不良仲間が警官になっているあたりも…)。

「何が窮屈な思いをせるか…」が見えないうえに「窮屈さが進行する」というてんでも「今の日本のわれわれを取り巻く環境」の行き着く先の姿にみえて不安になります。そしてなによりもこれらの進行が民主的なプロセス(選挙)を得て、ルールを都合よく段階的に改ざんしながら信仰するいう面においてもです。

「未来世紀ブラジル」ぐらい「巨大官僚機構が悪」だったらまだ「闘なればならない相手」が見えるのですが…。

>父親的に強権で従わせて支配する物と 母親のように誘導し支配する

 この分類は新しいファシズムの形態として、80年代後半に鴻上尚史氏が「鴻上夕日堂の逆上」で指摘した分類です。

追記…90年代、終身雇用制度が崩壊し派遣採用が増えた時期に、眉村卓氏が70年代にかかれた短編をよみ 暗い気分になったのを思い出します。

No title

グーグルで「サイコパス ディストピア」と検索してここに辿り着きました。

実は私も「ディストピア」という言葉を使って、似たような文章を書こうと思っていました。
「サイコパス」と「新世界より」はこの言葉がぴったりだったと思います。

いずれも決してスッキリと分かり易く解決する話ではなく、
どうしようもないブラックな管理社会の継承を風刺しているように見えました。

上で細かいことを指摘されている方がおられますが、
私は感覚としてはこの流れで十分だと思います。

>Doburoku-TAOさん

コメントありがとうございます。

> 「この作品で描かれている社会を絵空事で笑えない、実現してしまう可能性がたかい」というのが正直な感想です。
なるほど、これを「ディストピア」と言うにはあまりにも現実的・・・というか、現実社会がここで描かれるものに近しいように思われてしまったんですね。

>  経済の破綻からくるモラルの崩壊(町の汚さや若者が荒れている様子)などもありますが、なによりも恐ろしいのは「ビックブラザー」のような「絶対的な強権を持つ存在」がいないことです。
> 「未来世紀ブラジル」ぐらい「巨大官僚機構が悪」だったらまだ「闘なればならない相手」が見えるのですが…。
それこそ本記事であつかった『新世界より』『PSYCHO-PASS』のように、物語における「悪」の役割・存在を誰か一人もしくは明確な集団ではなく社会全体に拡散した結果、主人公個人では到底太刀打ちできないものとなり、それを打倒しないで物語が終わるしかない・・・というパターンになるんでしょうね。
それは確かに、現実に私達が生きる社会の似姿なのでしょう。
そんな社会では、フィクションの世界とはいえ、ディストピアの中枢を破壊して終わるには『絶園のテンペスト』くらい変化球な構成にしなければ説得力が生まれしないのかもしれません(しかもその絶テンですら、物語の先にまた別のディストピアが生じる可能性を孕んでいる、という・・・)

大変有意義なコメントのやりとりでしたので、また興味ある記事があれば、是非お越しください。

>赤目無冠さん

はじめまして、コメントありがとうございます。

> グーグルで「サイコパス ディストピア」と検索してここに辿り着きました。
どうも、ディストピア関連の検索で読んでくださる方が多いようで・・・
付け焼刃の知識で書き殴った記事なのでヒヤヒヤしてますw

> いずれも決してスッキリと分かり易く解決する話ではなく、
> どうしようもないブラックな管理社会の継承を風刺しているように見えました。
やはり、今の時代で明快なディストピア打倒の物語を成立させる難しさを感じますね。両作ともに、現実社会のどうしようもなさ・割り切れなさを念頭に作られていたように思います。

> 上で細かいことを指摘されている方がおられますが、
> 私は感覚としてはこの流れで十分だと思います。
いえ、そもそも細かい定義の話なので、Doburokuさんの指摘は必須でした。
このコメントのやりとりで記事が補完されたと思います。

ていうか早く絶テンの最終回後感想書かなきゃな・・・w

工藤タイキ

寧ろ逆にディストピアは最高潮だろ
他に別にディストピアは最高級だろ
当然正反対にディストピアは最高峰だろ

>八神太一さん

コメントありがとうございます。

ありがたいのですが、コメントの主旨がよく分からないです。。
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プロフィール

江楠

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