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UN-GO補足感想

2013.07.31 22:30|UN-GO
 TVアニメ『UN-GO』について、各話感想後にもまた色々考えたこと、ツイッターでちょこちょこ呟いてきたこと等を、補足感想として個別にまとめてみました。過去記事のまとめ直しでもあるかも。
 当然のごとくネタバレありあり、視聴何周目かのファン向けです。

 異論、誤字脱字etc指摘歓迎。
 
  ***

・モラトリアムものとしての因果論

 気がつけば『UN-GO』のTV放送から2年が経とうとしていて鳥肌なんですが、こないだ各話感想作成以来久しぶりに本作を通しで観てみたら、意外なほど物語から呼び起される感情が結構変わっていて。いや、当時感じた思いはそのままではあるんだけど、今新たな感慨が追加されていたというか。
 内省してみると、それはただ単に時間経過だけによるものではなく、初見当時の自分がが進路も特に決まらない大学生真っ最中だったのが、今は卒業年度で大学生=モラトリアム期間の終わりが近い、という状況が強く起因しているようで。そんな自分と作品感想の変化を、鑑賞中ずっと・・・いや特に「因果論」を観ている時にいっそう強く感じていた。
 何故かって、「因果論」そのものが「モラトリアム」の有り様を描いたエピソード、ということが言えるからではないかと。
 
 「因果論」は、主人公の結城新十郎がいかに因果と出会い探偵業に就いたのかを描く『UN-GO』のエピソード:ゼロなわけだが、より抽象化してまとめると「モラトリアムをこじらせた若者が海外に出て行って、そこで何らかの圧倒的現実に直面して、帰国してアンダーグラウンドの自営業として生きていく」・・・っていうわりとミもフタもない話だ。その過程で描かれる、新十郎の擦り切れていく夢への焦燥、由子との一時の交歓、そして旧友との確執等々のエピソードは、少し遅め・・・というより時期ギリギリの青春物語の趣がある。
 そういう物語って、中学生や高校生よりはもうちょい年齢が上の、大学生中盤以降くらいの年代・・・20歳ちょっと過ぎ頃の人間にとっては、物凄く共感度の高いものだと思う。状況としては別に大学生でなくてもいい、とにかく何らかの停滞期にある人々に強く訴えかけてくるような。
 そして、それ以上の年代の人にとっては、ちょっと距離を置いて、かつて過ぎ去った青春の、特にその終わりがけの一幕を見るような思いなのでは。実際、コメンタリーだかオールナイトだかで、監督と脚本の人は自分達としてはそういうスタンスで作った、という主旨のことを言っていた。だからか、因果論でもTV本編でも、あくまでテーマと絡めたうえでの中高年向けの懐メロ使用があるしね(少年期、セーラー服と機関銃、ブルーライトヨコハマ・・・)。
 そういうわけで、『UN-GO』を、「因果論」を繰り返し観たくなる衝動の根源は、そういう自分の年齢やスタンスの変化でそれぞれ違った化学反応を起こしてくれる作品だから、というものなのかもしれない。

 
・キャラの名前

 TV本編で新十郎に敵対する人物の名前には皆「水」を示す字あるいは部首が入っている。「海」勝麟六、速「水」星玄、虎山「泉」・・・(作品のキャラの名前は原案の『明治開化 安吾捕物帖』からとられているが、その三人の「水」の部分は速水以外はこの作品オリジナルのアレンジ)。新十郎はかつての夢だった水泳(=プール)を捨てても、現在では「海」勝麟六の支配する社会という大海を果てなく泳いでいく・・・っていうことだろうか。実際、脚本集に収録された因果論ロングver.では、決着のシーンで、撃たれた世良田蒔郎が新十郎に対して「……まだ泳いで……いくつもりか……」と言って息絶える。そして新十郎の答えは・・・。
 世良田自身の名前については、由来は単に原案からだけかな。


・桑島法子が繋ぐ作品の連続性

 『UN-GO』の監督・脚本家・制作スタジオの組み合わせでは否が応でも『鋼の錬金術師』(水島版)を思い出すわけだが。そのハガレンのファーストエピソードでは、物語のキーパーソンとなるキャラ(ロゼ)を桑島法子が演じていた。そのキャラは劇中である過ちをおかし、悲嘆にくれる彼女は主人公から作品テーマの根幹と絡めた言葉を投げかけられる。
 「立って歩け。前へ進め。あんたには立派な足がついてるじゃないか」

 時を経てスタッフが再結集した『UN-GO』の第1話でも、事件の犯人役として桑島法子が出演している。この起用は、スタッフ(水島監督だったか、會川氏だったか・・・)がはっきり意図したものだったという(ちなみに被害者のCVはブラッドレイ大総統)。
 そしてその話でも、ラストでミダマを暴かれた桑島演じるキャラに新十郎が呟く。
 「人は堕ちる。聖女も英雄も。それを防ぐことはできない。それが救いだ」
 メタ的に、ハガレンとの類似したシチュエーションの一方でのその内容の変化を思うと、よりいっそう味わい深さの増す科白だ。
 主人公はもう泣き暮れる女を鼓舞したり道を指し示さない、そのあるがままを是認する。そしてその言葉が彼女に届いたのかどうかは決して描かれない・・・。

 
・新十郎が車に乗らなかった理由

 最終話「私はただ探している」で、新十郎は麟六と結果的に共に事件を解決するかたちとなり、何だか和解したような空気の中、彼らの車に乗って食事でも、と誘われる。しかし新十郎は応えずに麟六の黒い疑惑を改めて追究し、二人がやはり相容れないことを示してしまう。
 このシーンは、彼らの改めての対立を描く最終回の名場面だが、新十郎が「車に乗ることを断った」という事実そのものも何気に重要なのではと僕は考えている。
 
 『UN-GO』TV本編では、新十郎が車含めて乗り物を「自ら運転する」シーンは一切描かれていない。代わりに、エレベーターや電車、梨江に先導されての馬など、受け身的に乗り物に乗っていることは多いのだが、それらは全て彼が事件現場に導かれる場面となっている(ちなみにエレベーターの時は、因果に階のボタンを押させている)。それ以外は移動は全て徒歩だ。そして極めつけとして第4話で、彼はもう動かない/動かせない「廃車」を寝床としている。
 このように、結城新十郎というキャラクターは「自分で運転し行きたい場所に行く移動手段」としての車(乗り物)を徹底的に拒否しているように演出されている、ように思われる。
 何故か?

 そもそも、車というものは前に進む(=「GO」)モノであり、新十郎がそれに否定的なスタンスを見せる(=「UN-GO」)ことで作品の主題をそれとなく示している、と言える。
 そしてこれまた「因果論」に立ち返ることで、さらに説得力のある答えが得られる。

 「因果論」での回想時の新十郎は、まだ夢を追って前進していた人物で、そのイメージもまた「前進」にまつわるものがあった。まず最初の夢だった「水泳」は、水中を「自力」で「前に速く進む」というスポーツで、彼はその才能に秀でていた。これ以上ない「前進」の象徴だ。
 しかし彼は早々に自分の限界を悟って水泳の道を断念すると、今度は海外での映画上映巡業を志す。その時に移動手段として使っていたのが、そう、「車」だ。映画の機材=自分の夢の象徴を積載して、「自力で」ではないが「自分で運転して移動する」車。水泳の時より若干ランクを落とした「前進」のイメージととれる。しかも後になって、「夢は必ず叶う」と車体にペイントされていたことが指摘される。
 しかし巡業は上手くいかず、新十郎は現地で土産物の露店を出して食いつなぐ(それを描いたシーンで彼はもはや進むのを止め「寝転」んでいる)。そして彼は、“戦場で歌う会”のメンバーをその車に乗せて、紛争地帯へと向かう。その道程で彼らは積んでいた映画機材を武器と勘違いされ、ゲリラの襲撃を受ける。順調に「前進」していた車は「進路を乱」し、新十郎はふと見つけた洞穴にハンドルを切る。車は洞穴内を「滑落」する。そう、ここで初めて新十郎の前進に作品の堕落モチーフである「下降/落下」の動きが加わる。
 洞穴内の底に落ちた車は爆発炎上する。新十郎の「夢」と「前進」がここで完全に潰えたことが、視聴者にはっきり視覚的に明示される。そして物語的にも、そこから彼の現在へと続く因縁のエピソードが始まる・・・。

 これを踏まえれば、TV本編で新十郎が何故執拗に「車」「運転」を拒むのかは言うまでもない。
 新十郎がかつて乗っていた車と最終話での麟六達のバン、もしかしたら車種同じだったりして?(車詳しくないから分からんけど)
 第4話で新十郎が寝床にした廃車も、あの車の亡霊として見ることができるかもしれない。そこで眠る新十郎達、という構図もなかなか皮肉なものがある。

 まあこんな風に、前進と下降の運動とそのイメージに注目することで、絵面から物語が結構読み取れるものなんだなあ・・・と。

 un-go-500x319.jpg


   ***


 とりあえず、UN-GOに関して考えたこと思ったことはブログの文章にするうえでは、今のところこれでほとんど全てなのですが。
 それこそ感想中でも述べたように、これから時間を経て僕の思うところがまた変わってきたら、何か加えて書くかもしれませんね。

 ブログ記事未満のとりとめのないことはtwitterとかでまだまだ書いていくよ!w
 
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テーマ:アニメ
ジャンル:アニメ・コミック

tag:UN-GO 坂口安吾 水島精二 會川昇 ボンズ

Comment

この作品の支持層の年代はやや高めですよね。
因果論も年配の方が多かった記憶があります(そもそもレイトショーですが…)。
仰る通り、各年代にそれぞれ訴えかける要素があるんでしょうね。私も大学生なんですが、作品から漂ってくる哀愁や儚さに「懐かしい」とさえ感じてしまいます。因果論と2話、6話、EDが特に。
ニッチさをなるべく避けて作品をメジャーな方向に振ったのが、広い年代に共感される一因なんじゃないですかね?

ところで桑島法子の話はどこのソースですか?気になります。
やはり水島監督は音響、音楽方面のセンスが素晴らしいですね。三間氏だけでは恐らくここまで大胆なキャスティングにはならなかったと思います。

UN-GOの語源については脚本集にチラッとだけ載っていた気がしますが、ここまで突っ込んだ記事は初めて見ました。なるほど。
水がキーイメージなのはコメンタリーか何かで言ってましたが…
確かに「GO」しないなあwww
でも、だからこそ最後の梨江との会話が、新十郎にとって再び歩き始めた瞬間になるんでしょうね。

>loopさん

コメントありがとうございます。

> この作品の支持層の年代はやや高めですよね。
> 因果論も年配の方が多かった記憶があります(そもそもレイトショーですが…)。
安吾原案だから、ってより、物語の方向性が「若者」と「かつて若者だった人」へのものなので、必然的に多くの世代に届いたのでしょうね。そういう意味じゃホントに普遍的でメジャーな性質の作品ですよ。
twitterの某フォロワーさんも、UN-GOの「懐かしさめいたもの」に嘆息していました・・・。

> ところで桑島法子の話はどこのソースですか?気になります。
たしか昨年のオールナイトでの水島・會川のトークで聞いた覚えがあり、今年4月の新宿イベントでもその話題が出ていまして。活字にはなってなかったかな。

> やはり水島監督は音響、音楽方面のセンスが素晴らしいですね。
作品の主題歌決める時も、任せるアーティストのところに出向いて作品性を理解してもらったりしてますからね。ひいてはアイドル回、アイドル作品でもそのセンスを発揮していて、『アイカツ』のインタビュー(ネットにも上がってます)でもその様子が仔細に語られていました。
監督業だけでなくスーパーバイザー的な立ち位置でも凄く良い仕事をされていると思います。ブレイブルーアニメも楽しみ~

> でも、だからこそ最後の梨江との会話が、新十郎にとって再び歩き始めた瞬間になるんでしょうね。
あのラストシーンは、見返すとすっごい感動的なんですよね。荒れ果てた屋上に菜園があるという美術も気が効いています。
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