『ガッチャマンクラウズ』1~7話雑感

2013.08.28 22:24|アニメ簡易感想
 『ガッチャマンクラウズ』。
 今期放送中の、もしかすると一昨年の『UN-GO』と同じくらいに熱中しているアニメ。
 まだ話も途中でこれからの展開もまったく読めないけれど、第7話に非常に感じ入るところがあったので、ここらで今までの話数の雑感をまとめておこうと思う。
 ちょうど日テレオンデマンドで7話までの無料配信やってるし(http://vod.ntv.co.jp/program/GATCHAMAN_Crowds/)。
 各話視聴当時の自分のツイートを元に作成。
 
   ***

・第1話 Avant-garde(アバンギャルド)

 作品タイトルの「クラウズ」は、辞書的にはcrowd(s)[名詞]:1(秩序のない雑然とした)群衆,大勢; 人込み 2 民衆、大衆 3 多数の、たくさんの 4 連中、仲間、グループ・・・等の意味(weblio英和辞典より)。
 これはガッチャマンのモチーフである鳥・鴉(crow)に引っ掛けてるとともに、ギャラックスやガッチャマンなどの組織・グループのことを、そして両者とその他謎のキャラ達が混在して非対称で無秩序な群衆(クラウズ)となっている作品そのものを指したタイトルなんじゃないかしらん・・・と当時は思ってたけれど、そしたら3話で“クラウズ”というそのものずばりの呼称の存在が出てきたりしてw

 早朝、清音のマンションの一室から始まる第1話。
 7話放送時点の今から見返すと、居間や廊下がひどく殺風景に見える。これからはじめが入居してきて、度々この一室でのシーンが描かれていくわけで、その生活描写の積み重ねや内装の変わり様を軸に見ていくのも面白い。

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 初回から、主人公・一ノ瀬はじめの異端っぷりは鮮烈に見せつけられている。突然現れた謎の人物(JJ)に臆することなく接し、ガッチャマンとして指名されても戸惑うところか喜んで戦闘現場に向かっていく。ノートの仕組みや特性もあっという間に理解し、遊びに使ってみせる(パイパイの落書き)。異常なまでの理解力・応用力の高さ。しかもただ状況に順応するのではなく、ガッチャマンの敵“MESS”が何故人を襲うのかに疑問を浮かべる。第1話にして、早くも他のメンバーを振り回していく。
 そんな他者や状況への鋭い洞察力をもつ一方で、自分を他人に分かってもらうことには不得手。特に堅物の清音とは軋轢を起こしまくりで、『ガッチャマンクラウズ』はそんな清音がはじめをどう理解し自分もまた変わっていくか・・・という物語でもある。だからこそ、まさにアヴァンギャルドな映像や演出の一方で彼らの住まいの変化の過程が丹念に描かれていくんだと思う。


・第2話 Asymmetry(アシンメトリー)

 作品世界で広く波及しているSNS、“GALAX(ギャラックス)”。現実におけるmixiやアメーバピグに似ているが、AIの“総裁X”によるユーザーのマッチングで、事件や災害に際して適切な人材・労力を引き合わせて解決する・・・というシステムがあるのが特長。アクティヴユーザーは“ギャラクター“と呼ばれる。
 市役所のテロ対策訓練、はじめの「被災地」などの発言から、この作品世界が災害やテロが蔓延する現実のリスク社会・変動社会的な側面を基にしていることが示されている。そうした状況でGALAXのようなまさに「クラウド」化した臨機応変な互助システムが機能している・・・という設定は、僕等の現実を省みれば、やや理想論ではあるけれど、一応は想像できるものだ。
 しかし一方で人命救護等の社会貢献にポイント評価を与えて促進させるGALAXの仕組みは、ポイントにならない人助けはしない、ネットワークの範囲外では役立たない・・・といった暗部を容易に想像させる。実際、後の話数で、GALAX活動に一個人としての露骨な名誉を求める者が出てきたわけで・・・。 

 そんなGALAXと対照的に、アナログな手帳(機能はすごいけど)で連携し、少人数で人知れず世界を救うガッチャマン達。しかしそんな二項対立は、はじめやパイマン、ODなど彼らの大半もGALAXの一員であるという描写で無化されている。さらに、はじめはMESSと戦わずに交流を果たしソレを無害化して、ガッチャマンVSMESSの構図も失くしてしまう。
 そうして様々な対立・対称性が崩され混沌さを増す、成る程アシンメトリー(左右非対称)な回だった。


・第3話 Futurism(フューチャリズム)

 GALAXの有用性と、その危険性の兆しが描かれた回。
 ご近所トラブルに悩む主婦に、民事訴訟を扱う弁護士が「マッチング」される。牛乳がばら撒かれるのを阻止するギャラクター達。

 学校で牛乳が流通するのを阻止する際、自らの体面やヒーローとしての道義を挙げて行動をためらう清音に対して、たとえ周りに迷惑をかけても、自分が悪く見られても、そこに理由があるなら動くべきだとはじめは喝破する。この語りは、第5話の彼女の行動の裏付けでもある。

 そしてまた大規模な事故が起こり、GALAXの連携だけでは被害を防げないと判断した塁は、“クラウズ”を発動する。ベルクカッツェから授かった力でギャラクターの上位100人(ハンドレッド)から引き出す、魂の群体。“クラウズ”の若干不格好な造形や動きが、いかにも本来は無力な人々の力の具現化らくして良い。

 清音と同じく、塁もまた人命の危機を前にして、躊躇っていた力を使わざるを得なくなっている。いくら自らの力(あるいは借り物の危うい力)を自制しようとしても、状況がそれを許さない。そうして力の行使がヒートアップしていく先に、暴走の危険性を見る(だが後に、“クラウズ”は正反対の結末をたどることになるのだが)。塁の危惧は、知らずはじめへの反論にもなっていたのかな。
 

・第4話 Kitsch(キッチュ)

 クラウズの活躍、はじめとうつつの本音をめぐる会話、そして丈VSベルクカッツェ。

 中盤のうつつの心情吐露は、ED「INNOCENT NOTE」のAメロ「楽しくしてても悲しくなる 消えてしまいたいよ」にほとんど丸ごと重なっている。あの歌を歌っているのはじめCVの内田真礼だ。うつつの言葉に対して「自分はいつでも楽しくて消えたくなったりはしない」と言うはじめに、うつつは「嘘つき」と呟く。この辺メタ的に面白いのだけど、実際はじめの本心にはあの歌詞の通りの部分があるんだろうか。

 そして、ついにガッチャマン達の前に姿を現したベルクカッツェ。
 元の『科学忍者隊ガッチャマン』(1972-1974)の悪役ベルク・カッツェと同じ名前である。今作のカッツェは進んでガッチャマンに敵対するわけではなく、全ての人々に危害と混乱を引き起こすことに喜びを覚える(メシウマ~!)という、どこぞのヴィランよろしく「世界が真っ赤に燃え上がるのを見たい」異星人。
 
 丈は、彼もその名前が旧『ガッチャマン』のキャラから引き継がれているように(コンドルの「ジョー」)、時代の変化に黄昏れてしまった旧来のヒーロー・・・といった感じの人物だ。「世界をアップデートさせるのはヒーローじゃない」というGALAXのキャッチコピーが端的に示す通り、明確なヒーローが求められなくなった時代の中、ガッチャマンとしての自分にも張り合いを失くしていた丈。そこへ、ベルクカッツェという絶対的な悪が現れ、彼は奮起する。
 「ヒーローならここにいるぜ。ガッチャマン、なめんなよ・・・!」
 あたかも、かつての『ガッチャマン』放映当時のような、旧来のヒーローVS悪の構図が再現された・・・かのような一話。しかし、丈が時代に適合できずにいたヒーローなのに対して、ベルクカッツェはバリバリ今現在の悪意を体現するキャラになっているわけで・・・。


・第5話 Collaboration(コラボレーション)

 塁のヒーロー論、リーダー論、革命論。彼の理想はGALAXの一員に理解されず、現実との乖離が始まっていく。
 そしてついに訪れる、Gメンバーと塁及びクラウズの邂逅・・・。

 塁の革命家としての苦しみは、何かと共通点も指摘されている『攻殻機動隊S.A.C』の、笑い男やクゼのそれに通じるところが感じられた(奇しくも同じ“健治”の名を持つ監督達の作品)。
 有象無象の人々の意識(魂)が大きな力を為す“クラウズ”や、普段はばらばらに行動・活躍し、チームとして結束と分散の狭間にいるようなGメンバーなどの描写は、まさに中村監督版“Stand Alone Complex”現象といったところかな。

 トンネル落盤が発生した時、はじめは迷わず変身して走り出す。
 「先輩・・・。気づいたら体動いてる時って、ないですか?」
 「今っスよぉ! それがヒーローっスよ!」
 このシーンに、自分は視聴当時、猛烈に感動して。
 その“変身”や“活躍”にどんなリスクがあろうとも、人々の危機に体が勝手に走り出す、それがヒーローだというはじめの論理。第3話での、「(人々を守る)理由があるならば外聞を顧みずに行動するべき」という主張と同根のものだ。
 複雑にヒーロー定義への問いかけを設定してる作品だけど、要所要所では王道の熱いヒーロー作品的展開を用意しているなあと思い、元々そういう作品が好きな自分としては嬉しくなってしまったのだ(ちなみに同じ週に放送された『戦姫絶唱シンフォギアG』第6話でも同様の展開があり、不思議な同時性があった)。
 けれど、物語はやはりそう単純なことでは終わらず、はじめの変身によりガッチャマンの存在は塁だけでなく日本全国に知れ渡ることとなり、事態はより錯綜していく。こうしたリスクも実際にきっちり描くことに、本作の熱さと冷静さのバランスを見る。
 

・第6話 Originality(オリジナリティ)

 はじめと塁の邂逅。
 はじめとうつつが市井のギャラクター達によって塁のもとへ導かれていく展開は、『デュラララ!!』のダラーズの描写とか思い出したなー。

 はじめは、メディアの目に触れるところで塁に正体を明かしたことについて、「あの時あそこでやる必要があった」「はずみではなく、そんな無責任じゃない」と言う。これも、第3話、第5話からの「理由ある行動」の論理に沿うものだろう。
 そんな彼女の発言を、今まで否定や疑問ばかりだった清音ははじめて率直に受け入れる。終盤でも、彼ははじめに「やっぱ分かんないなお前」とぼやくものの、彼女のやり方を認めた上で、自分の領分を通しに塁の尾行を始める。はじめはそうして自分が認められる度により機嫌を良くして笑う。
 清音は当初の頑なさから相当柔軟になってきたが、はじめの清音への態度もまたかなり変わってきている。
「違うんスよ」をほとんど口癖のようにして、自分に異を唱える清音の思考や行動を片っ端から否定・相対化していた。それが、彼の物腰が柔らかくなるとともに彼女もまた否定的な発言を少なくしていく。この第6話ではそんな変化が顕著だった。

 考えてみりゃ本作、冴えない少年のもとに謎めいた女の子がやってきて彼を振り回しながらの共同生活が始まる・・・という「美少女押し掛けもの」でもあるわけだなあw
 
 
・第7話 Abjection(アブジェクション)

 悪の本領発揮、ヒーロー達の敗北、それでも朝日は昇る。
 
 かつてのヒーロー像の丈も、新たなヒーローなき革命を掲げる塁も、ベルクカッツェにまるで歯が立たない。唯一はじめは彼?と対話に臨むが、その結果彼女は「寂しくてたまらない」と初めて弱音をこぼすまでになる。
 結局“クラウズ”の力は、暴走するどころか、事故や災害ではない指向性の悪(カッツェ)の前に何もできず完膚なきまでに叩きのめされてしまった。ネットの象徴の描き方として、そうかこっちか、と。

 はじめとカッツェが初めて出会うシーン、カッツェの声が聞こえてからカメラがはじめの目にぐっと寄り、そしてまた急速に引いて、カッツェがいるはずの何もない光景を映す。
 そして二人の対話がはじまると、画面構成は明らかにシンメトリー(左右対称)を強調したものになり、それでいて人物の配置や風景の左右の細かい差異であえてアシンメトリー(左右非対称)な要素を入れ込んでいる。

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 背景の片側に不在や欠落を作ることでカッツェの姿の代用としているのか、それとも、はじめとカッツェが対等に渡り合っているようで実はコミュニケーション(対等な左右の交流)が成立していない、ということを示す表現だろうか。両方かな? 前述のカメラワークにしても、はじめの洞察眼で以ってしてもカッツェが捉えられないということなのかもしれない。 

 第7話は、はじめの俗に言う「内面」がいちばん表に出た回だった。
 カッツェとの対話に落ち込んだところをうつつに手を触れられて、「あ」とちょっと反応が遅れてから「ありがとうっす」と微笑む。そして翌日、清音とともに朝日の光に包まれた光景を眺め、「綺麗っすね~」と言い、「ああ」と清音から同意をもらっていっそう嬉しそうに笑う。「うん・・・やっぱ綺麗っすよね。輝いてるっすよね~」はじめの心情の起伏を露にし、そしてGメンバー各人を感化して奮起させていった彼女もまた仲間に支えられるようになっていたことも示す一連のシーン。

 そして、はじめと清音が並んで朝日を見るラストは、彼女の思う「星が一番綺麗に輝く時」を再確認するものでもある。カッツェはそれを「世界(星)が真っ赤に燃え上がり」「滅びる時」だと捉えるが、はじめは「朝五時頃」太陽が昇り世界を照らし出す時だとしている。そもそも両者の「星」の認識からして異なっていて、カッツェにとっては滅ぼすべき自分とは切り離された対象だが、はじめにとっては自分が根ざし生きる世界そのものなのだ。
 カッツェにはコテンパンにやられ状況としては最悪だけれど、それでも愛すべき世界の光景がそこにある。そうして笑うはじめと清音にたとえようもない健やかさと強かさを見て、自分はひどく感じ入ってしまった。ぶっちゃけ若干泣きそうになった。
 朝日を見るのが彼らが短いながらも生活を重ねてきたマンションのベランダからってのも大切な意味があるんだよね。自分たちの日常(マンション、立川)から続く世界の姿って感じで。

 さらに、そんな彼らの姿は、OPのあのシーンに重なる。OP終盤、変身したはじめがガッチャマンメンバーのいるビル屋上に着地(夜明け直前)→全員揃って並び立つガッチャマン達の眼前で朝日が昇る→朝日に向かって一歩踏み出すガッチャマン達。
 そう、はじめの「星が一番綺麗に輝く時」は最初から示されていたのだ。

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 そんなこんなで、ようやく全てのキャラの対立や関係性の構図が出揃い一回り、といった感じ。それでもまだ7話で折り返し地点だ。これからどんな物語が繰り広げられるのかは未だ想像がつかない。
 そういやここんとこMESSちゃんが全然出てこないけど何してんだろ? アレが話の何らかの切り札になりそうな気がするが・・・。


 8月31日までは日テレオンデマンドで1~7話が無料配信中なので、最新話までに復習したい方はお早めに~(大事な事なので2回言いました) 
 
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tag:ガッチャマンクラウズ 中村健治

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