『妖怪百物語』

2011.11.25 21:06|映画感想
 ・ニッポン・レクイエム
 妖怪百物語
 妖怪百物語

 1968.大映
 監督:安田公義 脚本:吉田哲郎 音楽:渡辺宙行
 キャスト:藤巻潤、高田美保、平泉征ほか

 個人的に、大映の1960年代末の妖怪映画シリーズは、日本文化史の重要な映像資料だと思う。
 この『妖怪百物語』は江戸時代末期編。

 無駄に長くややこしい考察になってしまったので、近日中にある程度リライトする予定です・・・。

※本記事での考察やら解釈やらは、虚偽ではありませんがあくまで学生の私個人のものです。
 全部本気にして本職の歴史関係の人に話したら笑われるよ! 
 参考文献リストを載せておきますので、興味のある方は是非。
 この映画を語るには、まず妖怪文化の歴史から始める必要があります。
 長くなりますがお付き合いください。 

 妖怪の文化史は、人間が超自然へのおそれを克服し、解析し、愛玩するにいたるまでの歴史といえます。
 そして日本の妖怪文化史は、主に四段階に分けられるというのが私の持論です。

 まず、有史より平安時代まで――妖怪が具象化されていった時代。
 古代初期はシャーマニズムによってあの世のモノは崇めたてまつられ、神と妖怪は未可分の概念でした。しかし渡来人によって仏教や文字が導入されると、人々はこの世ならぬ存在をより具体的に表現することを試み始めました。
 明確な理論と体系を備えた仏教は、不定形だった神を「仏」として具現化し、寺院、仏具、仏教美術でこの世ならぬ世界をこの世に出現させました。文字は和歌や文学を創り出し、『日本霊異記』『源氏物語』『今昔物語集』等々、数々の作品であの世のモノの在り様が事細かに記録されました。

 そして平安時代には、仏像画や曼荼羅など聖なるものを描く仏教美術に加え、縁起絵巻や餓鬼草紙・地獄草紙などによって、恐ろしいバケモノの姿が映像として描き出されました。ここが決定的で、聖なる尊きモノは神、邪なる卑しきモノは鬼、あやかし、化け物として区別されたわけです。
 ただし、これらが「妖怪」と認識されるのは、妖怪研究が本格的に始まった近代からのことです。

 
 そして次なる時代―――妖怪が戯画化されていった時代。
 平安の貴族のみが支配する世が終わり、武士と僧侶が幅を利かせる中世になると、それまで朝廷の絵所に仕えていた絵師らは武家にパトロンを移していきます。その一つが土佐派であり、南北朝時代に藤原行光がその地盤を築き、室町時代に隆盛をほこりました。
 乱世の錯綜した空気と、朝廷から距離を置いた余裕からか、絵師達の描く絵にはいつしか可笑しみと風刺が籠っていきます。

 仏教は信仰そのものよりも、権力者が政治にコミットするための道具として、より理論的・体系的となって、あの世を現実に引き寄せて超克、あまつさえ統御しようとしていきます。

 その二つの気運が重なり、妖怪達の姿を面白可笑しく描き、ラストでは仏教によって退散・調伏される様を描いた『付喪神記』『百鬼夜行絵巻』が作られました。室町時代末期のことです。それらの妖怪画は絵の流派の中で手本の一つとしても使われ、そこから数々の模本が生み出されたとされています。

 
 そしていよいよ本命、三段階目――妖怪が娯楽化した時代。すなわち江戸時代です。
 徳川幕府成立により世相が安定し、文化の担い手は貴族・武士・僧侶などの上層から町人や農民などの大衆に移行していきます。
 そうした時代では、民衆目線の権威への風刺文化が華開き、文化の娯楽性も一層強まりました。妖怪かるた、妖怪すごろく、錦絵の一分野としての妖怪画など、江戸時代において妖怪文化は完全に娯楽物として存在するようになります。

 特に江戸時代後期からは、鳥山石燕の妖怪図鑑『画図百鬼夜行』をはじめ、世相風刺を盛り込んだ妖怪画文化がピークを迎え、お上から規制をくらうごとに反骨魂に磨きをかけて、庶民の間に広まっていきます。葛飾北斎や歌川国芳などの有名な浮世絵師達も、妖怪画や幽霊画の描き手でした。
 その系譜は幕末/明治初期の河鍋暁斎まで続き、しばしブランクを置いて、後に水木しげるが復活させることになります。

 さて、「百物語」もまた江戸時代のばけもの文化の一つでした。
 大勢で一室に集まり、一人ずつ怪談奇談を語っていく。一つ話が終わるたびに行燈の灯を消していき、100の怪談を語り終えると、本物の怪異が表れるという。それを防ぐために、百物語の終わりには憑き物落としのまじないが用意されていました。

 現在の歴史学では、江戸時代つまり「近世」は近代の前半期として位置づけられており、その時代のひとの認識はかなり近代的なものだったとされています。
 「野暮と化け物は箱根から先」という言い回しもあったくらいで、江戸時代では既に怪異を心から信じる者は少なく、畏怖・恐怖そのものすらも、長屋の集団ゲームや宴会の余興として楽しまれたのです。かつてバケモノへの本物の畏れが存在していた時代の日本が、百物語後の「憑き物落とし」として、儀礼的ではあるが、何とか生き残っていました。
 

 さて、ようやく映画の話に入ることができます。
 
 この『妖怪百物語』のあらすじはだいたいこんな感じ―――

 ある晩、貧乏長屋の一室で百物語が開かれた。その翌日、豪商と寺社奉行の結託により、借金のかたに長屋が取り壊されることが決まる。困り果てた長屋の面々は住民の一人である浪人に助けを求める。
 豪商の方でも賄賂を配る集まりの余興として百物語が開かれる。しかしその会の終わりに、豪商と奉行は憑き物落としの儀礼を迷信だと断じて省略してしまう。そこに乗り込んでいた浪人は、賄賂の金をくすねて、剣戟の末に逃げ去る。
 そしてその集まり以降、豪商と奉行の周辺が次々と怪異が起こり、人が怪死していく。長屋を解体しようとしても怪異に邪魔される。クライマックス、夜の奉行屋敷に数多の妖怪が出現し、奉行は混乱のなかで正気を失って自死してしまう。
 長屋の取り壊しはなくなり、妖怪達は百鬼夜行となって夜の彼方に消えていく・・・。

 劇中の長屋と豪商・奉行達の対立構造は、近代への過渡期としての江戸時代の、日本文化全体の在り方を象徴しています。長屋が伝統的共同体として近代以前の日本、豪商や奉行は金権で動き伝統を蔑ろにする近代以後の日本。
 そして百物語は、過去の日本文化が西洋文化の流入によって徐々に近代的に組み換えられていく過程のシンボルとして存在しています。憑き物落としは、古来日本文化の最後の意地。
 その憑き物落としすらも豪商。奉行らによってぶっきらぼうに省略され、長屋も彼らによって解体されんとする時、妖怪が出現します。

 ストーリーをよくみていくと分かりますが、実際に妖怪達と長屋の面々が遭遇することはなく、ひたすら豪商・奉行側に妖怪は現れ、彼らを死に導いていきます。妖怪らに科白や心情描写はなく、ひたすら人間側の視点で捉えられます。妖怪達は別に長屋の味方をしたというわけではありません。何故豪商・奉行側に害を成すのかというと、根拠は「豪商たちが憑き物落としを省いた=伝統に背いたから」のみです。

 妖怪達の内面が描かれないのは、“伝統的な古き良き日本”が実は、理解の及ばない“あちら側の者”として描くしかできなくなっていることの証でしょう。江戸時代はすでに近代であり、本当の昔ながらの日本など誰も分からなくなっている。
 だから豪商達はひたすら怪異を排除しようとするし、長屋の面々は怪異と対面することはなく、表向きは浪人の活躍で長屋が救われたことになる。

 新しい時代の波の到来に足掻き、しかし最早古き良き過去に戻ることはできなくて。
 どっちつかずのやりきれない想いが、妖怪を、百鬼夜行を生み出す。
 この物語は、近代に駆逐されてゆく“日本”が最後の力を振り絞って咲かせた、儚い幻想の徒花なのでしょう。

 
 そしてこの映画の公開されたのは1968年です。1970年前後は、日本の高度経済成長が極点に達し、地方から都市部への人口流入によって、古き良き日本の地方村落共同体が完全に解体された時期です。
 かつて日本が死んだ時代を舞台にした映画が、再び日本が死ぬ時代に作られる。この二重写しは、決して偶然ではないでしょう。
 「死ぬ」という表現が印象悪ければ、「生まれ変わる」でも良いでしょう。時代の変わり目=逢魔が時には、必ず妖怪が騒ぎ出すものです。(『鬼太郎』が必ず好景気と不景気の谷間にブームになっているという事実!)

 
 妖怪文化史の四段階目は現代―――妖怪が歴史性と成立土壌を喪失し、ポケモンやトトロのような、愛玩記号でしかなくなった時代です。鬼太郎などが僅かに前近代の妖怪の残滓を含みます。
 そして私は、在りし日の妖怪文化の面影をこうして映画に透かして幻視し、いつの時代も本質の喪失は“憑き物”であることに、物悲しさを感じつつも、どこか安堵するのです。


 まあこうしてぐだぐだ考えなくても、一つの特撮ホラーとして素晴らしい出来の映画です。
 現実世界から怪異世界への切り替わりなんか、本当に見事としかいえないタイミングと演出です。
 一娯楽としても是非ぜひ。
 


参考文献
・田中貴子ほか『百鬼夜行絵巻をよむ』河出書房.2007
・東アジア怪異学会『怪異学の手法』臨川出版.2003
・京都国際マンガミュージアム『図説妖怪画の系譜』河出書房.2009
・京極夏彦『妖怪の理、妖怪の檻』角川出版.2007
・田中貴子『百鬼夜行の見える都市』筑摩書房.2002
・『怪異の民俗学』シリーズ 河出書房.2000~
他色々

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テーマ:映画レビュー
ジャンル:映画

tag:妖怪百物語 安田公義

Comment

いやなるほど勉強になりました

たまさか百鬼夜行の本買ってきたとこだったので
かなり参考になります!

しかしこの映画のあらすじ面白いですね
妖怪が直接手を下しちゃうんですね そういうの見たい.

古い方の『妖怪大戦争』くらいしか観てないのですが
この作品をセンスいい誰かにリメイクして欲しいな.

Re: ヒノキオさん


テーマ云々より、会話のテンポとかシーンの切り替えとか、とにかくリズム?の気持ち良い映画でした。
是非おススメします。

また、水木しげる先生の妖怪デザインを大いに参考にした妖怪達の造形が大変素晴らしいです。

『妖怪大戦争』も面白いですよね。
あっちは近代日本のナショナリズム形成を表してるかなーと思います。

『妖怪百物語』をリメイクできるのは誰だろう・・・
海外だったら絶対ギレルモ・デル・トロ監督!

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