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『コンクリート・レボルティオ ~超人幻想~』第6話「やつらはいつでも笑ってる」・感想

 「あの人達は超人だ」
 
 
   ***

 神化41年、ひょんなことから超人の力を手にしたバンドグループ。
 しかし彼らの力は中途半端で、超人として活躍するわけでなくコミックバンドの道を進んでいく。そんな矢先、所属する事務所の陰謀を知ってしまう。それは、彼らが“二流”から脱却する機会なのか――?


 “マウンテンホース”は、神化42年に来日した超人気ロックバンドの前座をつとめた、ふざけた芸風のバンドグループだ。そんな彼らが突如超人の力を手にしたところから物語は始まる。
 閉ざされた空間に潜り込める、人をちょっと痺れさせるくらいの放電、等身大のものくらいなら動かせる念力、体がカチコチになる・・・特別であるがとてつもないスケールという程ではない、何とも中途半端な超人となったマウンテンホース。ディー、ハル、フリーズは超人として活躍できるかもと浮足立つ。しかしグループの年長者でありかつて超人の存在が規制されていった世相を知るドンは危機感を持ち、一般人として生きていくよう諭す。

 このように、マウンテンホースは終始市井感覚のただの人間達として描かれている。だからこそ、彼らの視点から一般人と超人のギャップが明確に語られる。
 超人として存在するということは犯罪者や悪の組織と戦うということであり、当然命のやりとりをする羽目になる。そして綺能秘密法によりメディアからは抹消され、国家に従うか世捨て人になるかの二択を迫られる。そんなシビアな世界観に、彼らの凡庸な能力は釣り合わない。

 マウンテンホースは超人であることを隠しコミックバンドとして軌道に乗り始めるが、その栄光もあくまで二流止まりのものだった。おまけに、所属する事務所が超人に関する陰謀を企てていることを知ってしまう。現状を嘆く若いメンバーに対しての、ドンの啖呵が輝く。
 
 「二流じゃ駄目か? やってる意味ねえか?」

 一流か二流か、有名か無名か、極端な二分論に流れることなく自分達のできることをやっていこうという彼の言い分は、戦後の混乱おさまらぬ時期を生き抜いていたはずのバックボーンが垣間見える。
 そして彼は超人が戦争の道具として使われた過去を省みて、「超人は笑えねえ」と断じる。二流でもいいから人を笑顔にすることがしたいと言う。
 つまり、一流=シリアス、二流=コミカル、という図式。

 しかし、そんな彼らに東崎倫子が近づき、製菓会社のキャンペーンを装った超人の力を規制する計画への協力を要求する。
 二流なりの矜持をも蔑ろにされたマウンテンホースは、東崎の計画に立ち向かうことを決意する。

 第5話の怪獣ブームへの加担に続き、今回も敵役として登場した東崎。自分と所属する会社の利益のために大衆世論を巧みに誘導しようとする彼女だが、何だかんだと目論見は失敗続きだったり、人を殺めさせてしまえば動揺してしまったりと、どうにも綻びが目立つ。悪人になりきれない彼女もまた二流である。神化40年代後半でひどい目にあってる気がしてならない・・・。
 そういう意味では今回は二流の超人と二流の悪人のぶつかり合いであり、話としても小さくまとまっているのも頷ける。

 しかし一度限りとはいえ超人として行動したマウンテンホースは、足を踏み入れてしまったシビアな死生観により、ディーの死という犠牲を出してしまう。彼らの中で最も正義感と活躍願望を募らせていたディーが真っ先に超人的世界の負の部分を被ってしまう展開は必然である。
 そして一流・シリアスになりきれない二流・コミカルな残りのメンバーは、ディーの死も飄々と受け入れるしかない、という描写に、それ故の物悲しさをみる。涙を見せられないピエロの悲哀にそれは似ている。

 対決が落着した後、三人になったマウンテンホースは本格的にコミックバンドとして活動を続けていき、大人気ではないが地下的なそこそこの人気を得ている・・・というのが神化44年。

 そんな彼らをみて称賛を送るのが風郎太であることに、今回のエピソードの肝がある。 
 かつてマウンテンホースの下にボーイとして潜入していた風郎太は、2年後も変わらない彼らの姿を見て笑みを浮かべる。
 超人課への対抗勢力集めのために彼らを勧誘し、すげなく断られた爾朗は彼らが超人でないこととしての不遇を憐れむが、風郎太は彼らは超人だと反論する。

 「こんなに大勢が笑ってる。誰よりすごい力じゃないか」

 本来「子どもの友達」のオバケでありコミカルな世界の住人だったはずが、超人課に入ったことから善悪の境の消失を体験してしまい涙を流した風郎太。
 人々を笑顔にするマウンテンホースの姿は、今の彼にとって何よりの憧れなのだろう。そして視聴者的にも、超人課を出奔して以後のアウトローな爾朗にさえ滑稽な様を演じさせてしまう彼らは確かに「すごい」ことをしていると映る。
 そんな、彼らへの憧憬こそが、彼らを超人たらしめている。
 グロスオーゲンやタルタロス蟲人、メガッシン等、彼ら超人は特別な力を持つと同時に、人々から「憧れ」を向けられていた。それは純粋なリスペクトであったり、恐怖と紙一重の畏敬の念であったり、人それぞれの勝手な思い入れだったり様々だが、とにかく何かしらのフィルタリング、そう、まさに幻想を集める存在だった()。
 それこそが超人の定義であり、その実態がどうであるかや能力の規模はむしろ副次的なものだとすらいえる。
 だから、マウンテンホースが超人の力を得るきっかけとなった、かつて世界中の憧れを集めていたあの“四人組”は、成る程確かに超人だったのだろう・・・。

 ”超人”の枠組みから外れたエピソードのようで、むしろその射程を身近なものに拡げ直した、大切な回だった。


 だからそういう意味では、数多の人々の想いを投影されていた怪獣もまた“超人”だと言える。人でないなら超獣? いやそれは四男の・・・   
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江楠

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