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『コンクリート・レボルティオ ~超人幻想~』第13話「新宿擾乱」・感想+第一期総括

またずいぶんと更新空けてしまった・・・。

ほぼツイッターの方からのコピペですが、自分用の一期まとめとして。
   ***

・第13話「新宿擾乱」

 第11話からの怪剣クロードのエピソードの完結であり、第1期全体の最終回であり。
 現実の昭和43年新宿擾乱を下敷きに、これまでの超人総登場のオールスターバトル!
 別世界の未来で敗戦探偵が住処とすることになる新宿(UN-GO)、兄弟が追っていた原爆(シャンバラ)と、監督脚本コンビ過去作の影がちらつくのもたまらない最終エピソードだった・・・ 

 白眉は何といっても、挿入歌「自由に愛して歩いて」をバックに数多の超人達が爾朗を救い出すシークエンス。これまで、毎話の挿入歌や超人の能力の一つとしてプッシュされて続けきた「歌」というファクター。それは人を惑わし争いに駆り立てるものとして描かれることもあったが、最後に来て爾朗の中の怪獣=爆弾=戦争を封じ込めるためのBGMとして結実する流れには否が応でもグッと来る。

 本作のキャッチコピーは、「超人は無垢なるものを救う。ならば超人を救うものは誰か」というものだった。その前半部は、この一期最終回で数多の超人達が爾朗を救い出した姿として描かれた。そして「救われた無垢なるもの」の爾朗が「超人を救うもの」、本当の意味での超人課になれるかどうかが二期なのかな。

 そして爾朗が超人課を去る切っ掛けの最後の1ピース、それは超人課の実態や自分の真実への絶望だけではなく、輝子の自分への憧れを守るため。彼もまた誰かの幻想を背負うことにより、超人としての一歩を踏み出した、ということだろう。
 アースちゃんは誰の声に応えようとして誰に壊されたのか、爾朗が超人課と決定的に敵対することになった出来事は結局何なのか、二期への謎は尽きない。一期では「正義とは何か」を繰り返し描いたのに対して、二期ではアウトローになった爾朗の視点から「悪とは何か」をやるつもりなのでは・・・なんて予想している。

   ***

 さて、2016年4月からの第二期が始まる前に、本作一期の時代背景のおさらいをしておこう。
 神化40年代の元ネタとしての、昭和40年代。
 平成生まれからの拙い想像だけれど、昭和40年代(1965年~1975年)は、長い昭和史の中でも特にあの時代の明暗が強く表れていた時期だったのではないかと思う。
 例えば経済の観点からは、昭和40年から45年までは「いざなぎ景気」と呼ばれる高度経済成長の絶頂期にある。昭和39年のオリンピックや45年の万博の特需もあり、「好景気」の見本のような時代だ。しかしその急激な経済発展がもたらした公害・環境問題が表面化し、社会が自らのメリットとリスクに気づいていった時代でもある。昭和45年には初の公害メーデーが行われている。
 40年代直前の新幹線・高速道路開通、地下鉄整備から始まったモータリゼーションも、都市の交通網発展・大量高速輸送を実現した一方で、大気汚染・騒音問題や交通事故の死傷者(死者数は昭和45年でピークに達し、交通戦争とも呼ばれる)などをもたらした。
 また、昭和40年代は敗戦から20年以上が経過し、戦後生まれのベビーブーム世代が社会に進出し始めた時期でもある。つまり、戦争を経験している/していないの世代感覚のギャップが、社会の動かす者の中にも到来したということ。
 そして戦後生まれの若者が目にするのは、国内政治の腐敗(昭和42年以降の「黒い霧」事件)であったり、かつて親世代が過ちを犯して訣別したはずの戦争の影であったり(43年に最盛期となるベトナム戦争への日本の援助、核受け入れ)、国際的な旧来政権への革命の機運(文化大革命、プラハの春)であったり・・・。国家・社会への疑問と行動が彼らに強く印象付けられた。
 そして文化面では、TVの発達(昭和44年にTV受像機の生産台数世界1位)と広告マーケティングの先鋭化で、娯楽メディアから大衆を動員する、あるいは大衆自らが動員する術がより簡易になっていく。マス・ゲームの時代だ。
 こうした要素が噛み合って、ビートルズ来日での騒動や、学生運動をめぐる狂乱のような、全国の人々が何か特定のイメージを共有し、それに駆り立てられ行動を起こすという状況が実現した。「幻想」がそのままで終わらずに「現実」化される手段がインフラ・メディアの発展というかたちで生み出された。
 その過渡期としての昭和40年代だったのではないかと思うわけです。そしてそんな時代の様相を反映したのもやはりメディア=アニメ・マンガ・特撮だったわけで。だから「昭和」の似姿としての「神化」で、現実の出来事をメディアの中の存在に似せた「超人」に重ねて描くというのは、改めて、非常に理に適っている。
 そして作品の時間軸を神化40年代前半/後半に大まかに分け、昭和40年代後半の公害問題の紛糾やあさま山荘事件のように、現実化した幻想が現実自体に敗北していくサイクルを描いた先に何があるのか。
 二期が非常に楽しみです。
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江楠

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