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そしてまた歩き出す―『UN-GO episode:0 因果論』再考

2018.11.20 00:38|UN-GO
 『UN-GO episode:0 因果論』が2011年11月19日に公開されてから、もう7年になる。
 TVシリーズ本編『UN-GO』を含め、これだけ長い間ずっと本作に惹かれ続けているのも我ながら驚きだ。
 自分が『因果論』の何にこうまで魅力を感じているのかを改めて考えてみると、それはストーリーであったりキャラクターであったりメッセージ性であったり様々で、ていうかファンの贔屓目で決着「全部好きだから全部好き」に行き着いてしまう。
 それでもはっきり根拠立ててここが好き!と言えるものとしては、「映像作品としての強度」が挙げられるだろうか。それはひたすら枚数を費やした超作画とか1フレームも崩れないキャラの美麗さ等ではなく、作品の物語やテーマを科白や設定説明だけでなくいかに映像によって語り得ているかということだ。本作におけるその映像演出の雄弁さが、自分が何度も観返したくなる欠かせない要因なのだと思う。
 これまで本ブログや同人誌への寄稿等でもこの観点については何度となくふれてきた。それを改めてまとめ直してみようと思う。
 
 ***

 『因果論』は、TVシリーズ本編の主人公・結城新十郎の過去をめぐる物語だ。彼がかつて何を夢見たのか、そしてその先でいかにして相棒の因果と出会い“敗戦探偵”となったのか。そこからテーマ的に浮かび上がってくるのは、新十郎を含めた若者達の夢とその挫折についてだ。
 それがどう映像的に語られているのかを読み取るにあたって、劇中何度も強調されている新十郎の動きとそのモチーフに注目して、ストーリーを振り返っていこう。
 
 冒頭。洞穴の底から空を見上げる新十郎の主観から物語は始まる。洞穴の切れ目が楕円に切り取った空の真ん中に月が浮かび、それはあたかも巨大な眼から見降ろされているような表現になっている。そして洞穴内の惨状と自身の瀕死な状況が断片的に映し出された後、彼の過去語りが行われる。
 幼少期に両親を亡くして多くの人の世話になった新十郎は、その恩義に報いようという利他的精神から水泳に打ち込む。彼がプールを淀みなく真っ直ぐに泳いでいく様子が映される。
 しかし程なくして自分の限界を知ると、彼はあっさり水泳を止めてしまう。やるべきことを見失っている間の彼は、寝転んだり無気力に腰かけている姿で描かれている。
 そして彼は今度は映画巡業という夢を見つける。そこに身を投じ悪戦苦闘する様が映される中に、重い荷物を背負って果てない道を進んでいくワンカットがある。その夢も行き詰まると、彼は異国の地で露店商売として地べたに座り込んでいる。
 ここまでの描写から明らかなように、新十郎が夢に向かって邁進している状態では彼は「前進」のイメージとともに描かれ、夢を見失ったり挫折している時は「停滞」で描かれている。非常に明快な演出だ。

 そして新十郎がNPOボランティアの“戦場で歌う会”と出会い現地案内を頼まれる展開から、彼が映画巡業に車を使用していたことが明かされる。かつてその車には「夢は必ず叶う」という文言がペイントされていた。それが今は止まっている。彼の「夢」=「前進」を表すものとして「車」が重要なガジェットであることが示唆されている。
 さらに言うならば、最初の夢である「水泳」はほぼ何も身に着けず自力で水中を前へ前へと進んでいくという非常にアクティヴなものだ。そして彼の次の夢である「映画巡業」では、彼は映写機材を(一瞬だけ自転車によって運んでいるシーンをはさんで)自力ではなく「車」という半ば自動的な手段で運ぶ。彼の積極性がだんだんと低下していっている様がさりげなくも表れている。
 
 “戦場で歌う会”の面々は夢や理想の真っ只中にあり、新十郎は彼らにかつての自分の自分を見るようで嫌悪する。そして彼の中でも特に理想主義な倉田由子にも反発する一方で惹かれてもいく。
 そして紛争地への案内を控えた前夜、“戦場で歌う会”メンバー達が歌の練習をする一方で新十郎は由子や同窓の世良田と現実について語らう。この時、新十郎の車がその仕切りのような働きをしており、ここも非常に暗示的だ。
 翌日の場面で、劇中初めて新十郎が車を運転する姿が映し出される。さらに彼は運転の最中に髭を剃る。由子との交流の末に、彼が夢を追っていた頃の自分に少しだけ戻りつつあることが視覚的にも表現されている。

 そしてここからの流れが本作の白眉と言ってもいい。一行を乗せた車は反政府軍の襲撃を受ける。新十郎がハンドルを切って車は道を逸れ、洞窟の横穴に退避する。そして車は洞穴内を滑落し、漏れたガソリンに引火して爆発炎上する。以上、車によって象徴されていた新十郎の「夢」=「前進」が完全に潰えてしまったことを決定的に示す非常に秀逸なシークエンスだ。
 これ以降、TVシリーズ本編を含めても、彼が乗り物を自分で運転するシーンは存在しなくなる。唯一TVシリーズ第3話で馬に乗っているシーンがあるが、その時はご丁寧に「馬は乗り物ではない」という発言が会話の中でなされている。代わりに廃棄された車を寝床とするシーンがあったり、海勝麟六・泉検事・速水刑事等の新十郎に敵対するキャラクターが乗車・運転するシーンは事あるごとに描かれていたりと、新十郎にとって「車」=「夢」が最早アンタッチャブルで忌むべきものとして演出されている。「車が爆発炎上する」というそのものすばりな場面が別々に二度もあったりと、ほぼ確信犯的なものだ。最終話で海勝の車に乗ることを新十郎が拒否するシーンはその最たるものだろう。

 洞窟のサスペンスの後、劇中でもう一度激しいアクションが一瞬描かれるシーンがある。日本に帰国した新十郎は別天王会の事件捜査に加わった末に、会師殺害の疑いをかけられてしまう。追い詰められた彼はビルの屋上から飛び降りて逃げのびる。彼が落ちる時に割り砕いた太陽光パネルの跡が洞窟の風景に重ね合わせられ、回想につなげられる。
 新十郎の動きのイメージは、夢を追っていた頃の「前進」や挫折していた頃の「停滞」とも異なり、洞窟での転換を経て最早「落下」になってしまったことが強く印象付けられる。

 しかし物語はここで終わらない。
 新十郎は別天王会の事件を解決するものの殺人の濡れ衣を晴らすことはできず、別人の「結城新十郎」の戸籍を使って生きていくことになる。かつての夢も身分も失ってしまった彼だが、人間の真実を因果とともに暴いていくことを決意して“敗戦探偵”の道を往くこととなる。
 ラストシーン、崩壊した新宿駅跡を新十郎と因果が歩いていく。カメラアングルは彼らを見下ろす俯瞰となり(ファーストカットの主観アオリからの対比)、彼らは画面下方向へ進んでいく。そしてKEEPOUTのテープや線路で縦に幾筋にも仕切られた構図は、冒頭の水泳のコースのそれと相似している。
 観ている者にとっては下に落ちていく「堕落」であっても、新十郎自身にとっては紛れもない「前進」の再開だ。 
 そして作品はエンドロールに入り、宿敵たる麟六の短い場面をはさんで、TVシリーズ本編のOPに繋がれる。そのOPは道路を高速で走るイメージショットから始まり、タイトルバックの次はTVシリーズ時間軸の新十郎が歩いている映像となる。
 結城新十郎は、水の中を泳ぐでもなく、車を運転するでもなく、ただ一歩一歩歩いていく。それは水泳に励んだ青少年期よりも前、両親を喪った海辺で立ち尽くしていた幼少期に立ち返って始めるように。


 こうした静かな感動を卓越した演出手腕で魅せてくれる本作を、自分はこれからも好きであり続けるだろう。
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テーマ:アニメ・感想
ジャンル:アニメ・コミック

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