『UN-GO』×『魔人探偵 脳噛ネウロ』 

2012.01.29 00:42|比較考察
・WE CAN (NOT) ADVANCE.
『UN-GO』×『魔人探偵脳噛ネウロ』

un-go9.jpg  ネウロ1 


 「人間は堕落する 聖女も英雄も それを防ぐことはできない それが救いだ」(結城新十郎『UN-GO』)

 「資質と欲望が・・・人間をどこまでも進化させる」(ネウロ『魔人探偵 脳噛ネウロ』)


 『UN-GO』『魔人探偵脳噛ネウロ』
 もうあちこちで指摘されていることですが、私もこの二作品のテーマの共通性について、つらつら考察してみようという記事です。

 ※作品のネタバレ満載です。

 
 
 LAMA「Fantasy」 (『UN-GO』ED曲) 
 『ネウロ』の世界観にも合いますよね。
 BGMとしてどうぞー。


 『UN-GO』は、2011年秋期にノイタミナ枠で放送された水島精二監督・會川昇脚本の深夜アニメ
 『魔人探偵脳噛ネウロ』
は、2005年~2009年にかけて週刊少年ジャンプで連載されていた松井優征の推理(?)漫画。2007年にはアニメ化もされました。
 どちらも私の大好きな作品です。そして、両作品の設定やテーマに根底で相通じるものを感じ、また一方では全く対照的な側面もあり、これは並べて語ってみるとかなり面白いんじゃないかと思いまして。

 まずは、それぞれの作品の基本設定とあらすじを紹介していきましょうか。
 ちなみに、『ネウロ』はアニメ版もありますが、そちらでは後半から原作とかなり異なったストーリーになる上に私は全話視聴できていないので、本記事では『ネウロ』は漫画原作に限定して語ります。


   ***


『UN-GO』

 近未来、とある対テロ戦争を経て、戦火の傷跡も生々しい復興中の日本。メディア利権を掌握するJJシステム会長・海勝麟六は、その情報網と推理力で数々の事件を解決へと導いていた。
 その一方、事件の本当の真実に迫る者が二人。“敗戦探偵”結城新十郎と人外の美少年(時々美女)の助手・因果
 新十郎は、海勝が美しい結末にしたてた裏に隠された事件の真相を解き、因果は犯人に“一つだけ質問をする”。すると犯人は自分の意思とは無関係に事件解決の決め手となる心中の秘密を告白してしまう。因果はそうすることで、人間の抱える本音「ミダマ」を喰らうことができるのだ。それはかつて新十郎が因果と交わした契約であり、二人を繋ぎとめる絆でもあった。
 しかし二人が暴いた真相は、毎回結局は海勝と彼が協力している検事や刑事らによって隠蔽されてしまう。
 その不毛な負け戦ゆえに、“敗戦探偵”。
 海勝の愛娘・梨江は新十郎に興味を抱き、頼ったり罵ったりしながら次第に彼との距離を縮めていく。
 さらに、事件の渦中で救ったクラウド型人工知能・風守が新十郎達と行動をともにすることに。
 そんな敗戦探偵メンバーの前に、海勝のスキャンダルが絡む大事件が立ちはだかり―――。

 結城新十郎 UN-GO 因果

 ノイタミナで同期放送の『ギルティクラウン』の陰にかくれてしまい、大ヒットには至りませんでしたが、コアなファンの心をがっしり掴み、劇場公開された前日譚『因果論』もアンコール上映されるまでの好評を博しました。
 一ファンとしては、2011年トップクラスの傑作だったと言いたいです。

 『UN-GO』は、原案こそ坂口安吾『明治開花 安吾捕物帖』ですが、脚本の會川昇による設定改変と独自のストーリー構成になっているとともに、他の安吾作品・エッセイからエピソードや科白が大量に取り入れられています。
 中でもクローズアップされて作品テーマの根幹を成しているのが、坂口安吾の戦後の代表作となったエッセイ『堕落論』。要約すれば、善性も悪性もどちらも人間の真実であり誤魔化すべきではない、人間は本性のままに堕落して、その先で自分で自分自身を救わなければならないのだ、という内容です。
 『UN-GO』の主人公・新十郎はこのテーマを体現するかのように、海勝によって隠された事件の真相や人の欺瞞を暴き、人間の本質に迫ろうとします。


   ***


『魔人探偵 脳噛ネウロ』 

 魔界全ての「謎」を喰い尽した魔人・脳噛ネウロ。その脳髄と胃袋を満たす“究極の謎”を求めて、ネウロは地上に現界する。
 そこで彼が出遭ったのは、ちょっと?大食いな一介の女子高生・桂木弥子。ネウロは謎の宿る事件を呼び込むために弥子を女子高生名探偵に仕立て上げ、二人は様々な事件を解決していく。
 誰しも抱える執着・偏見・狂気を極限まで突き詰めた先に事件を、「謎」を生み出す犯罪者達。事件を解く中で出会う、それぞれ譲れない強い想いを抱えた人々。そして飽くなき欲求と努力の末に人間の限界を越えた進化をしてみせた、本当の自分を求める怪物・怪盗Xi(サイ)、天才の脳を映した人工知能・電人HAL
 ネウロは、最初は謎の苗床くらいにしか捉えていなかった「人間」そのものに興味を抱くようになり、その無限の進化の可能性に期待を寄せる。
 そして弥子もまた、事件にかかわるうちに、人の心に寄り添うことで事件の本質を解き明かすという自らの特性を開花させていく。

 そんな矢先、悪の定向進化を極めた人間・シックス率いる「新しい血族」が登場する。想像を絶する悪意と能力で人類を滅ぼそうとする彼らに対して、謎を、ひいては人間を守るためにネウロと弥子は命懸けの戦いを挑むことになる。
 激しい戦いの連続の中で手を取り合い進化していく、弥子をはじめとした人間達。一方、魔力の欠乏でどんどん弱体化していくネウロ。そして新しい血族は容赦なく人間を追い詰めていく。
 生きるために己の欲望と才能を磨き、人はどこまで進化できるのか、その果てに何があるのか。ネウロが、弥子が辿り着いた答えは―――。

ネウロ5 ネウロ6

 シックスが登場する以前と以後では物語形式が大きく変わっており、ジャンプでよくありがちな「いきなりバトル展開突入」にとれなくもないのですが、作品テーマにおいては一貫していて、むしろシックス編からようやく本題に足を踏み入れた感があります。打ち切りか引き延ばしかの二択しかないような近年のジャンプの中で、全23巻という絶妙な尺でテーマをきっちり語り切って終了した、異形にして理想のジャンプ漫画だったといえるでしょう。
 そんな『ネウロ』のテーマ「進化」。
 謎の追求を通して、人間の進化にまで話のスケールを広げた推理漫画というのもそうそうないでしょう(作者いわく、推理モノの皮をかぶった単純娯楽漫画だそうですがw)
 人外のネウロとごく平凡な人間の弥子の両者を通じて、人間は良くも悪くも己の欲望に正直に切磋琢磨を絶やさなければ、どこまでもいつまでも進化していけるのだと、直球の人間賛歌が謳われています。
 

   ***

 
 『UN-GO』の堕落論、『ネウロ』の進化論。
 一見相反するテーマのようでいて、「善悪ひっくるめた人間性の肯定」という側面では同じことを言っているのではないでしょうか。

 そのために、因果やネウロなどの化け物、風守やHALなどの人工知能といった、人間以外の視点によって人間の在り様を客観的に捉えられる存在がどちらの作品にも登場するのでしょう。

 そして、人間の探偵と化け物の相棒というコンセプトが似通っているというのもありますね。どっちの化け物も人間の精神エネルギーを求めています(因果は「ミダマ」、ネウロは「謎」)
 これもまた、そうした特性で人間の本質に迫ろうという物語のテーマに即したものです。


 で、話はここからで。
 そうして色々と共通点のある二作品ですが、逆に違いに目を向けると面白いんですね。

 『UN-GO』と比べると、『ネウロ』の人間性肯定の明快さが際立ちます。己の信条にもとづき、狂気全開で犯罪をおかし「謎」を作る人間達を、魔人のネウロが上から目線でサディスティックに叩きのめしながらも、その未来性・可能性を褒め称える。一方で、弥子が読者と等身大の目線で彼らに接し、人の心理を丁寧になぞって、その奥深さを実感していく。

 ネウロ「懲りずに自らの可能性を求めるがいい 人間よ 
      究極の『謎』を・・・作りだす可能性を秘めた種族よ
      その可能性を・・・吾輩はいつでも喰ってやる」

 弥子(私はもっと・・・ 人間を知りたいと思った)
    「難しいね 人間って」
 

 独特のえぐみのある画風や奇抜なキャラ造形、ブラックジョークなどでキワモノなイメージの強い漫画ですが、実はとっても真っ当なモラルと論理性を備えた、健全な作品なのだと思います。
 
 ただ『ネウロ』は、人間の進化の全てを肯定しているわけじゃないんですよね。
 物語後半の敵勢力である、悪の方向へ極端に進化してしまった「新しい血族」こそ、進化の方向性を間違えるとこうなるという悪例なわけで。
 さらに、人間側に立ち、真っ当な「進化」を辿ってきたように見えた人物が、実は「新しい血族」側に加担していたことが発覚するエピソードなどもあり、人間の進化がいつ悪の方に向かってしまうか分からない危険性も描かれています。

 ラストの決戦にて、ネウロはシックスに対して、悪意によってここまで凄まじい進化を遂げたことを称賛し、しかし続けてこう言い放ちます。

 ネウロ「・・・だが貴様は間違った進化をしたと言わざるをえない
      たった1人で・・・生態系を大きく狂わす 
      それは未来を作れない歪な進化だ
      だからここで・・・貴様の進化を止めてやる」


 ただ、それでもやはりネウロは善悪の区分がはっきりしているんですね。こうして善悪両方をきっちり描きこむことで、むしろその境界の強度が増しています。
 

 戦いで力を使い果たしたネウロは一旦魔界に帰ることになり、しかし再び人間界に戻ってこられるか、人間が滅びたりしていないかを案じます。それに対して弥子は、自分達はもう大丈夫だから心配するなと笑って言います。
 そしてネウロは、弥子を通じて人間の進化を確信して、安心して魔界に帰っていきます。
 (こう書くと『ドラえもん』みたいだなw)

 弥子「人間の世界は変わらない
    変わらない欲望で進化を続けて・・・ 
    未来をつくり 謎をつくる
    ネウロと一緒にいて出した答え」

 ネウロ「フハハハハハハハハハハハ
     よくぞ進化した
     もはや貴様をナメクジなどと呼べんな
     『ザ・ナメクジ』と呼んでやる」

 
 そして事実、3年後に弥子は世界を股にかけて活躍する名探偵(というか交渉人)として成長しています。

 弥子「あいつが探す究極の『謎』 
    それはこの世界に必ずある
    今ならそれを確信できる
    人間には無限の可能性が広がっているから
    世界は・・・ 『謎』で満ちているんだから」


 このように、終盤の弥子は善の方向へ進化していくことに迷いや疑いを持たなくなっていて、それはこの作品自体の最終回答でもあります。


   ***


 対して、『UN-GO』はどうでしょうか。
  
 主人公の結城新十郎は、ネウロや弥子と同じように、因果とともに謎を解いて人間の本性を暴いていきます。
 しかし、彼は最初から最後まで自分の在り方に迷っています。
 探偵という罪の告発者でありつつも、自分が謎を解くことによって誰かが傷つくことに躊躇いを感じている。そして人間の本質についても、善悪どちらも肯定するというよりは、美談など存在せず綺麗なだけの人間なんて有り得ない、という若干ネガティヴな視点によっています。その先入観によって推理を誤ることも。

 そんな曖昧なスタンスを因果や梨江に責め立てられるのはしょっちゅうで、何なら因果(美女ver.)に泣かされちゃったり。人工知能の風守に自分の盲点を指摘される一幕もありました(しかもその論は、以前に新十郎自身が風守に言ったことでもあった)

 因果「何を求めているの? 何を守りたいの? 
    優しい新十郎・・・。
    でも可哀そうなのはあの子? 自分? 
    自分を憐れんでも何も変わらない」
 
 梨江「人は他人のために命を捨てることができると?」
 新十郎「俺はそんなの信じられなかった。
     人は心の中に言葉にならないものを隠して生きている。
     それを暴き出すのは俺のすべきことだと。
     だが、そんなこと・・・」
 梨江「本当の“敗戦探偵”ね。結城新十郎」

 海勝「君が真実を明かすのは何のためだ? 
    真実は、常に一つだろうか・・・」



 そして新十郎の宿敵である海勝も、明確な「悪」ではありません。膨大な情報力と国家権力との繋がりを駆使して、事件を万人向けの“美しい結末”に仕立てあげる海勝麟六。
 しかし彼の行為は個人の真実を覆い隠す欺瞞に終わるだけではなく、時として誰かをこれ以上傷つけないための方便として機能することもあります。第六話「あまりにも簡単な暗号」では、海勝は新十郎より遥か前に真実に至っており、そのうえで事件関係者を悲しませないために真実を隠匿していました。もっとも、彼の真意は明かされませんでしたが。
 そう、海勝は一貫して、自分の本音(因果いうところのミダマ)を明かそうとしません。いつも悠然超然とした態度で、事件を鳥の目で俯瞰しています。

 ただ最終話では、海勝にも彼なりの理想があり、情報操作もそれ故であることを自らのたまいます。

 海勝「人間の全てが賢人聖者となれば、全ての真実をさらけ出し、
    あらゆる大義名分や方便や嘘を必要としなくなるだろう。
    だが、果たしてそんな日がくるかな?
    私達が出来る事は、少しずつ少しずつ向上していくことだけだ」


 しかしその一方で、新十郎の指摘によって、やはり利己的な犯罪に手を染めていたのではないか、この国を襲った戦争すら彼のマッチポンプだったのではないかという疑惑も深まります。
 最後の最後まで、海勝はグレーゾーンに在り続けます。彼自身は新十郎のように揺らいでいない代わりに、彼への視聴者の認識が揺さぶられるといったところでしょうか。


 そして梨江は、父親の麟六と新十郎との間で揺れ続けています。どちらが正しいのか、どちらを信じるのかは最後まで決められません。しかし決められないなりにどちらかを切り捨てることはせず、新十郎の陰惨な過去も微笑んで受け入れようとします。

 さらに、物語後半では「別天王」という超常的存在が登場します。ソレは人の言葉通りの幻覚を発生させ、幻覚に囚われた者にとっては紛れもない「真実」を作り出します。
 海勝の推理を新十郎が引っ繰り返しさらなる真実にいたるという二重構造に加えて、別天王によって「どこまでが現実でどこまでが幻覚か」というフィルターがかかり、物語は複雑を極め、観る者を揺さぶり続けます。

 『UN-GO』の世界では、主人公は迷い続け、シックスのような明快な絶対悪は存在せず、誰もが後ろ暗い部分を少しずつ持っていて、何が真実なのかは誰にも分からない。

 新十郎「美しいものを、美しいものとして終わらせる、か」
 梨江「ええ」
 新十郎「俺達には縁のない話だ。
     ずっと、堕ちている途中なんでねぇ」


 『ネウロ』と同じく人間性の肯定をテーマとしていても、そのテーマはあくまで観る側が受け取ることで、それを自信を持って断言できる者は作中にはいない。信念はただ信念として提示され、作品世界の絶対の真理とはならない。


 この差は、一体何に拠るものなのか。
 2007~2009年の『ネウロ』と2011年秋の『UN-GO』を分かつのは、一体何か。
 おそらくそれは、2011年3月の震災以前と以後の差なのだと思います。

 あの時から、世の中の色んな嘘が暴かれ、何が正しく何が間違っているのか、これからどうすればいいのか、誰も分からなくなってしまった。だからこそ、その反動で、原発だの東電だの政府だの韓国だのステマだの、分かりやすい「敵」を求めて皆躍起になっている。
 正しい答えなんて誰も分からない。どこにも存在しないのかもしれない。それでも人は真理を求めずにはいられない。
 私たちは、ただ、探している。
 
 そんな中で、善悪を明確に割り振った物語と、その狭間で揺れ動き続ける物語と、意味を持つのはどちらでしょうか。

 『UN-GO』脚本の會川さんは、インタビュー記事によれば、新十郎は初期案ではもっと自信をもって欺瞞を告発するキャラクターだったといいます。しかし震災が起きてから、彼自身も迷いや未熟さを抱えた“ブレ”のあるキャラに変更したのだそうです。
 本来ならば、自分の立ち位置に悩みながらも成長していくという『ネウロ』の弥子的な役割は、おそらく梨絵一人が担うはずだったのではないでしょうか。
 しかし震災を経て、『UN-GO』は主人公自体が揺らぐ物語へと変化した。

 だからこそ、迷い揺らぎ続ける『UN-GO』のキャラクター達に私達は、少なくとも私は、強く魅力を感じ、共感していけたわけで。
 つまるところ、震災前の『UN-GO』が『ネウロ』で、震災後の『ネウロ』が『UN-GO』なのではないでしょうか。
 
 追記:まあ、震災以前以後といっても、それだけが要因じゃないとは思ってます。
 2008年頃からの世界的経済恐慌、2009年の政権交代でも何も変わらなかった政治、中東をはじめとした国際政治のパワーバランス変動、そうした諸々の事件で世の中が錯綜を極めていって。
 そして3月11日の震災が最後のとどめになって、世間の空気が一気に変わった・・・という感じでしょうか。
 根底のテーマは同じながらも時代の変化を如実に映した作品として、『UN-GO』と『魔人探偵脳噛ネウロ』の対比は記憶されるべきものだと思いますね。


 新十郎「人は堕ちる。あらゆる悪と同時に正義がある。俺は人を愛したい。その美しさを知りたい・・・」


un-go13.jpg ネウロ8


 

 追記2:また、『魔人探偵脳噛ネウロ』の魅力として、「警察機構VS人ならざる人」の構図がありまして。これは『寄生獣』『仮面ライダークウガ』の流れを汲むもので、この辺についてもいずれ比較考察の記事をつくりたいところです。



   ***





 最後に、『ネウロ』のDRさんから有難いお言葉です。

ネウロ7


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ジャンル:アニメ・コミック

tag:UN-GO UN-GO 魔人探偵脳噛ネウロ 坂口安吾 水島精二 會川昇 松井優征

Comment

なるほど、「堕落」と「進化」。一見相反するこれらの言葉が両作品ではほぼ同じ意味を有するというのは非常に興味深いです。

ネウロにおける悪の進化の集大成はシックスではなくむしろ葛西のおじちゃんだと思うのですね。だからこそ最終回で犯罪者代表の役割を振られたのではないかと。シックスの違いはざっくり言うと「人間」かどうか、でしょうか。

ネウロにおいて善と悪がはっきりしてるのは単に少年漫画だから、としか考えてなかったのですが(笑) そこで思考停止せず、そう描かれた意味を考えようとする姿勢には頭が下がります。

新十郎のキャラが震災後で変わったという話は初めて聞きました。だからこそ、対立軸に置かれた海勝を揺るがないキャラにしたのですね。
ネウロが海勝で、弥子が新十郎、という立ち位置の対比に時代背景的な意義を見出したのはとても面白いと思います。

長文失礼しましたー。

>ぽんずさん

ぽんずさん、コメントありがとうございます。
そちらのブログのコメントで、『UN-GO』と『ネウロ』のことについて指摘して頂けたので、ちょっと真面目に記事にしてみました。

勢いで書いたので、今後も色々付け足していきそうですが。
特に『UN-GO』の考察で、別天王のこと入れるのすっかり忘れてたので・・・。

> ネウロにおける悪の進化の集大成はシックスではなくむしろ葛西のおじちゃんだと思うのですね。

あー、確かに。シックスは人外レベルにまでいっちゃったのでw、あくまでも人間でありつつ悪を極めた葛西善二郎の方が、悪の進化の象徴として的確かもしれないですね。

> ネウロにおいて善と悪がはっきりしてるのは単に少年漫画だから、としか考えてなかったのですが(笑) 

勿論、天下の少年ジャンプの連載ですから、分かり易さに特化したのはあると思います。
それに、善悪がはっきりしていても、どちらの側のキャラクターも信念をもって魅力的に描かれていているので、単純な勧善懲悪というわけではないんですよね。
私も葛西大好きですしw

> 新十郎のキャラが震災後で変わったという話は初めて聞きました。

『オトナアニメディア』Vol.3の會川さんのインタビュー記事などで語られていました。
『UN-GO』全話解説や企画背景の話などもあり、なかなかお買い得でしたよ。


長文大歓迎なので、またコメントどうぞ。

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江楠

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