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『英国王のスピーチ』

2011.11.10 21:56|映画感想
 
 ・Stand Alone(Complex)
 英国王のスピーチ
 2010.イギリス
 監督:トム・フーパー 脚本:デビッド・サイドラー
 キャスト:コリン・ファース、ジェフリー・ラッシュ、ヘレナ・ボナム=カーターほか

英国王1


 本作を観て、まず「主人公が愛する人や友の助けを借りて己のコンプレックスを克服し、一世一代の大勝負に臨む」という、どこの少年マンガかと見紛うようなアツいストーリーとして良く出来てるなーと思い。

 また、コリン・ファース演じるジョージ六世が吃音で度々言葉に詰まるシーンは、「うわあ、自分にも経験あるな~」と身にしみて共感させられてしまいました。
 そして、近代においての「個(人)」の在り様? みたいなモノについて、結構考えさせられました。

 近代になって出現した「個人」という概念ですが、他の誰でもない「個人」ってのはつまり、その対極、名も無き「大衆」がいなければ成立しないものですよね。その大衆がどうやって作りだされたかというと、これはひとえにマスメディアのはたらきが大きいでしょう。

 近代はマスメディア発達の歴史でもあります。
 演説会、新聞、ラジオ、テレビジョン・・・人と人が直接やりとりできる限界を越えて情報を受信/発信できるマスメディア。そこでは情報を受け取る一人一人の顔は見えなくなり、無数の名も無き人間、「大衆」が生まれます。そしてその大衆が認識する、マスメディアに名と顔を顕す情報の送り手、「個人」が生まれるわけですね。
 まあこれはまた違った側面で、「個人主義」によっても「個人」は補強されるわけですが。

 さて、第一次世界大戦を経て、近代の綻びが露わになってきた1930年代が舞台の本作で注目されるマスメディアは、ラジオです。 
 本作で主人公のヨーク公アルバート王子(後のジョージ六世)は、英国王として、イギリス国民何千万人に向けてラジオでスピーチをしなければなりません。彼が抱える吃音を差し引いても、それは一体どれだけのプレッシャーでしょうか。英国王」という肩書でさえ彼の支えにはならず、むしろプレッシャーに拍車をかけます。

 メディアの発達は、個人を個人として成立させるだけでなく、個人を際限なく拡大することを可能にしました。それはつまり、たった一人の人間であることを超えて、膨大な数の人間と一人きりで対峙することを強いる、ということです。
 ヨークは、そんな不条理で合理的な近代世界に相対し得るほどの強固な「個」を手に入れる必要がありました。
 だから、彼のスピーチに至るまでの鍛錬の様子は非常に説得力があるものでした。

 ヨークは、民間の矯正師ローグの治療を通じて、自分の人格や過去を吐露していきます。他の誰でもない、個人としてのヨークが物語られていきます。観客にとってヨークの人物像がどんどん明確なものとなっていき、また彼自身も自分を分解・再構成することでアイデンティティを確立し直していくのです。
 そうしてはじめて、ヨークは、何百何千万の国民へと拡散しても壊れることのない「個」を手に入れます。吃音障害の矯正は、あくまで表層的なものに過ぎません。
 そして、彼がそこに到達するまでに、何年もの時間と多くの人の助けが、そして何よりラジオというマスメディアが必要だったことが、「個人」が自分一人だけでは決して成立し得ない複合的な概念であることを暗に物語っています。

 ヨークが個人として、そしてジョージ六世という公人としてスピーチを成功させてから70年余り、マスメディアのさらなる発達は、マスメディア自身が成立させ拡大してきた「個」をついに解体するところにまで至りました。
「大きな物語」も、「国家」も。俗にいうポストモダンってやつですね。

 私達は今や限りなく自由に楽々と情報を発信することが出来(ているように見え)、そこにいちいち強固な自己を作る必要は最早ありません。精々、自分を識別してもらうためだけの「キャラ(記号)」があれば十分。インターネットがその象徴と言えるでしょう。
 solidからliquidへ移りゆくこの時代で、もう「個」は要らなくなっていくばかりなのでしょうか。

 しかし、時代はすべて画一的に同一方向に進むものではありません。昔と変わらないもの、昔に還っていくものすらあります。
 未だに人が生身でスピーチしなきゃいけない機会は腐るほどあるし、いつの時代だって自分の本音を吐きだすことは大切です。そうした機会のために、揺るぎない自分を確立しておくことは、決して欠かせないと思います。
 私だって、今の自分が、定期的に見知らぬ複数人(しかも外国籍の人達)の前で喋りまくらにゃならん状況にあるからこそ、この映画に深く没入できたわけで。

 かつて情報を発信することがこんなにも大変だったこと、「個人」に「成る」ことがこんなにも難しかった(今は「個人」で「在る」ことが難しい)時代があったこと。
 それを再確認するのは、今の時代だからこそ真に必要なことなんじゃないですかねえ。

「Wの発音でつっかえたな」
「わざとだよ。“私”だと分かるように」


 あと、本作でジョージ六世の妻エリザベスを演じたヘレナ・ボナム=カーターが、『ハリー・ポッター』のベラトリックス・レストレンジ役の女優だったと知ってびっくり! 撮影時期近かっただろうに、あの奇天烈悪女の面影なんて全然なかったよ。
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ジャンル:映画

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