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回路

2012.02.28 19:00|映画感想
 ・ソレは既に張り巡らされて
 『回路』

 kir.jpg

 2001年.大映
 監督・脚本:黒沢清 音楽:羽毛田丈史
 キャスト:加藤晴彦、麻生久美子、小雪


 「コンピュータの普及が記憶の外部化を可能にした時 
  あなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった」

 (code:2501/人形使い『攻殻機動隊』1995)

 

 冒頭。
 曇天、船上。海をみる女の後姿。それをみつめる役所広司。 
 なにか厭な、不穏な、不吉な、ただならぬコトが起こっているということが直感される。


   ***


 実際、これはホラー映画といっていいのだろうか?
 「恐/怖い」というより、ひたすらに「厭な」映画だ。
 何かすっげえ厭なモノ見ちゃったよー! 見ないようにしてたのにー! ぐええーー! という気分。


   ***


 窓の格子、開け放たれた扉、電車の連絡路、PC画面、ビニルカーテン、温室、etc・・・。
 この映画のいたるところに枠/フレームが、膜/フィルタが存在し、それらは意図的に強調されて映し出され、テーマの象徴として機能する。
 それは即ち、“あちら”と“こちら”を区切る平面化した境界だ。

 鑑賞する自分の眼前にある画面という境界、そして映像の中に在る境界。その二つの境界の狭間、つまりは虚構に過ぎないはずの物語空間が、本当に存在するかのような錯覚に囚われる。

 ああ、『回路』の「回」って、そういう・・・。

 
   ***


 僕は本作のDVDをPCで視聴した。

 PC画面の向こうで揺らめく人影。
 今、自分がミているのは、ただの画面だろうか? そこに映るのは只の役者が演技している映像なのだろうか?
「タスケテ、タスケテ、・・・」
 それは、ただの劇中の科白だっただろうか、本当にPCのスピーカの「向こう」からキこえた声ではなかったか?
 その真偽を判別する術は、ないのだ・・・。

 そんな疑念を一瞬でも抱いてしまった僕は、この映画に敗北を認めざるを得ない。
 

   ***


 しかし、2012年の今や、こんな恐怖はもう過去のものでしかなくなってしまった。ネットは社会全体に浸透し(ているように見えて実は深刻なデジタルデバイドを生んでいるが)、ツイッターやフェイスブックなどの新しいかたちで、僕等の生活にはなくてなならないもの、あって当然のモノになってしまった。
 恐怖を感じる間もなく、生活の一部としてとりこんでしまった。

 実際は、PC画面の向こうにあるのは死後の世界なんかではなく、現実と変わらない、地続きの、鬱陶しい人間関係と支離滅裂な言論もどきが飛び交う生臭い世界でしかないのだけれど。

 それでも、ネットと接続することの是非を道化のようであっても真剣に考慮する時間をとらなかったことによって、後々、めぐりめぐって何らかのしっぺ返しをくらうことになっても僕等に文句を言う資格はないのではないか。
 

   ***


 映画としての本作の話をすると、前半はネットを死者の世界に重ねたホラーとして生々しい恐怖感があって良いのだけれど、後半になると一気に醒めてしまった。
 というか、前半でこの映画の語るべきことは語ってしまっていて、小雪が往ってしまった後がひたすら蛇足にしか過ぎないように感じられた。

 実は僕は、麻生久美子のパートと加藤晴彦のパートが交互に描かれる様をみて、ある推測をたてていた。
 麻生久美子が扉の向こうに見た世界こそが加藤晴彦の生きる世界であり、加藤晴彦がPC画面の向こうに見た世界が麻生久美子の世界だったと明かされる・・・という、本当に意味で生者と死者の世界の境界が消失するラストを期待していた。
 なので、両者が後半でフツーにばったり会ってしまったところで完全に興ざめしてしまった。
 そこからはただのディストピアムービーでしかなくて(それはそれで面白かったんだけど)、死者が説明科白をのたまうくだりとか小雪との再会とか、蛇足どころか映画全体の価値を損なうものでしかなかったと思う。

 でも、そうした欠点に安堵している自分がいる。
 これがもし、一切の無駄なくテーマを描いた完璧な映画だったら、マジで戻ってこられなかったかもしれない・・・なんて。


   ***


 10年前ならば、もっと実感をともなって味わえただろう恐怖と嫌悪。

 自分の通う大学の、パソコンが無数に何列も備わった端末室の風景が、墓石の立ち並ぶ墓地に見えた。


 
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テーマ:映画レビュー
ジャンル:映画

tag:黒沢清 回路

Comment

これ元は小中千昭の「lain」だったみたいですね
でも当時の技術では描けないと判断して
結局「lain」の企画は中村隆太郎監督が拾ってアニメ化.

それから2年遅れでようやく黒沢清も実写で描いたと.

その2年という遅れが結構痛かった気がします.
とは言え小説版も買って
ハリウッドリメイク版も鑑賞して、ハマってましたw

ここで幽霊表現は1つ極めたんじゃないかな~と.

問題は黒沢監督がネットに興味なさそうってとこでしょうね
正直、江楠さんのアイデアの方がずっと面白いと想います

監督に読ませてみたい.

Re: タイトルなし

> これ元は小中千昭の「lain」だったみたいですね

おっ、これは興味深いですね。
アニメ版観てみようかしらん。

> それから2年遅れでようやく黒沢清も実写で描いたと.
> その2年という遅れが結構痛かった気がします.

たしかに、公開された2001年だと、ネットはもう既にかなり一般に浸透してましたからね。
90年代には『攻殻機動隊』も『すべてがFになる』もあったし。

> ここで幽霊表現は1つ極めたんじゃないかな~と.

あのさりげない恐怖の演出は本当に堂に入ってました。

> 問題は黒沢監督がネットに興味なさそうってとこでしょうね

まあ、本作ではパソコン/ネットはあくまであの世への入り口の一つに置き換えられていますからね。
もしも当時の押井守監督と組んでたら、空前絶後の作品になってたんじゃないでしょうか。

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