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『鉄人28号』×『ヱヴァンゲリヲン』

2012.03.16 05:35|比較考察

『鉄人28号 白昼の残月』 × 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』

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・『鉄人28号 白昼の残月』
 2007.メディア・スーツ
 原作:横山光輝
 監督・脚本:今川泰宏 音楽:伊良部昭
 アニメーション制作:パルムスタジオ

・『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
 2007.クロックワークス、カラー
 総監督・脚本:庵野秀明
 監督:鶴巻和哉・摩砂雪
 音楽:鷲巣詩郎
 アニメーション制作:スタジオカラー



 先日『鉄人28号 白昼の残月』を観て、いたく感動しまして。
 そして本作の公開年の2007年に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』も公開されていて、その内容の対照性に不思議な縁を感じ、それを何とかこじつけるべく、こうしてクロス考察記事など書いてみようかと。

 ※かなり長いです。ネタバレありです。

 
 まず、この二作への僕のスタンスを書いておきましょうか。

 『鉄人28号』、この作品については、この今川版の『白昼の残月』がファーストコンタクトです。存在こそ知っていましたが、漫画原作を読んだことはないし、最初のアニメ版も観たことはありません。ヒノキオさんのブログ記事で興味を惹かれて観た本作が、はじめての『鉄人』です。こういう記事書くからには原作からあたるのが筋なのでしょうが、いかんせん手に入りにくいもので。
 なので、これから述べる『鉄人』についての情報はほぼ全て付け焼刃の知識によるもので、何か致命的な間違いなどありましたら容赦なくツッコミお願いします。

 そして『ヱヴァ』ですが、まずオリジナルの『新世紀エヴァンゲリオン』はリアルタイム世代ではありません。TVシリーズ放映時は5,6歳のガキで『忍たま乱太郎』ばかり観てました(偶然「マグマダイバー」の回をチラ見した記憶はある)。そして物議をかもしまくった旧劇場版を観ることもなく育ち、2009年に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観てそこからようやく過去作を一通り観た次第です。
 とりあえず本記事では、基本的に「新劇場版」の「ヱヴァ」に限定して語ります。


   ***


 さて、手始めにそれぞれの作品概要をみていきましょう。

 『鉄人28号』は、漫画家・横山光輝によって1956年から月刊『少年』で連載された漫画原作をオリジナルとして、そこからラジオドラマ、アニメ、実写映画、舞台、漫画リメイクなど数々のメディアミックスを果たし、今日まで息長く人気を博してきました。
 本作『鉄人28号 白昼の残月』は、アニメーション監督・今川泰宏によってリメイクされたアニメ版(2004~2005)の、同監督による劇場版です。ただしアニメ版とのストーリーやキャラクターの役割の繋がりはなく、映画として独立した、アニメ版とはパラレルな位置付けとなっています。

 敗戦後の日本で、父・金田博士の形見であるロボット・鉄人28号を操って戦う少年探偵・金田正太郎。ある日彼のもとに、出征していた義兄にして同じ名をもつ青年・ショウタロウが帰還する。彼は、正太郎より鉄人を上手く操ってみせた・・・。
 時を同じくして明らかになる、金田博士のもう一つの遺物・“廃墟弾”。生物以外の全てを破壊し、都市を廃墟に変えてしまう爆弾。それは東京のあちこちに隠されていた。
 動き出す陰謀、正太郎を狙う謎の復員兵“残月”、そしてことあるごとに暴走する鉄人。
 廃墟弾をめぐる戦いがあぶりだすのは、歴史によって生み出され、翻弄され、そして消し去られていく者達の慟哭。正太郎は何を思い鉄人のリモコンを手にするのか。

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 正太郎の義兄・ショウタロウは、戦争時は“白昼の残月”と称された英雄パイロットでしたが、敗戦後は戦績も役に立たず、戸籍も失くした亡霊的存在になってしまいます。本来は彼に与えられるはずだった鉄人28号も、今や正太郎少年のもの。彼は、自分と同じく社会から忘れられていく廃墟にシンパシーを感じます。
 実は、彼はもう一つのリモコンで密かに鉄人を操り、廃墟弾を掘り返していました。自分の存在を抹消し堕落の一途をたどる日本そのものへ復讐するために。正太郎に対しても、義兄としての親愛の一方で鉄人を奪われた悲哀と憎悪に苛まれていました。
 
 そして正太郎を狙っていた“残月”の正体はショウタロウの実の母親であり、金田博士から廃墟弾の塊の“大鉄人”への鍵を託されていました。彼女は日本のために戦うどころか日本に復讐しようとするショウタロウを涙ながらに叱責し、大鉄人を横取りしようとするベラネードの銃弾に倒れてしまいます。

 ショウタロウは戦友の村雨竜作とともにベラネードから大鉄人の操縦を奪い返し、正太郎の助けを振り切って、無数の廃墟弾とともに空の彼方へと消え去るのでした。 

 彼らの思いを忘れまいとする正太郎の意思が、鉄人に、そして真昼間の空にひっそりと昇り地上をみつめる“白昼の残月”の姿にたとえられて、本作は幕を閉じています。

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 僕は本作を、歴史についての物語だと思いました。いや、まだ歴史とも呼べないような、生々しい争乱の記憶を抱えた人々の物語。
 人は忘れることで前に進める、生きていけるというけれど。その営みの裏では常に、忘れ去られる人の命が、想いが犠牲になっている。ならばせめて、その一つ一つをこの目に焼き付け、忘れずに語り継ぎ、これからの進路に活かしていくことが、歴史の犠牲となった人々への鎮魂であり、歴史の本来の役割ではないのか。
 いや、そんな教科書じみた教訓以上に、自分の過去と今の世の中とのズレに苦しみ涙するショウタロウ達の姿が、ひたすらに哀しい。 
 終盤の展開では、登場人物の一つ一つの科白、表情、仕草、すべてのシーンから哀切さが発散されきて、もうどうしようもなくいたたまれない気持ちになりました。

 こんなにも歴史の悲しみ、虚しさに向き合った作品もそうそうないでしょう。(そのスピリットを受け継いだ作品に、最近では『UN-GO』が挙げられるんじゃないかと思うんだけど・・・いや、これはファンの贔屓目かな。)
 『あの花』を観た時も思ったけど、過去を振り返ることは本来苦痛であって、でも絶対必要で、ただ懐かしんで美化してちゃいけないんだよな。

 本作『白昼の残月』は、物語を通じて作品の外の現実の日本の歴史・社会へのストレートなメッセージを発しています。キャラデザもテンポもそのままに、かつ現在の精巧な映像技術で表現することによって、作品のオリジナル以上に真に迫った存在感をもって、忘れ去らようとも決して無くなりはしない戦争の記憶がここに甦っています(ショウタロウの顔が画面いっぱいに大写しになって涙を流すシーンの異様な描き込みが、そのピークだと思う)。

 このように、逃れられない現実の外の歴史の悲哀に向き合ったのが『鉄人28号 白昼の残月』だとすれば、その歴史から断絶されてしまい、ただ一つ残った作品自身の歴史に向き合おうとしているのが――― 


   ***


 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
 まあ説明するまでもないかもしれませんが、1995年のTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』及び97・98年の劇場版の、続篇でもリメイクでもないリビルド(再構築)としての新シリーズ四部作(予定)の一作目。総監督は引き続き庵野秀明
 『白昼の残月』と同じく2007年に公開され、再び大ヒットとなりました(最初は2008年に完結する予定だったんだぜ、嘘みたいだろ?・・・)。
 ストーリーはTV版の第一話から第六話までのエピソードを描くものです。
 “セカンドインパクト”により人類の半数が滅びた2014年の日本。14歳の気弱な少年・碇シンジは人型汎用決戦兵器・“エヴァンゲリオン”のパイロットとして、第三東京市に構える特務機関NERVに召集される。NERV総司令にして父親の碇ゲンドウの思惑に翻弄されながら、次々と襲い来る謎の存在“使徒”と戦うシンジ。
 お節介なお姉さんのミサト、友人のトウジ、ケンスケ、そして同じくエヴァのパイロットの少女・綾波レイ。シンジは戦いの日々に弱音を吐く一方で、周りの人々とおそるおそる関係を築き始める。
 そんな折、強大な第六の使徒が現れ、シンジは為す術もなく敗退してしまう。
 NERVは、人類の存亡を懸けて、一撃必殺にして乾坤一擲の大勝負“ヤシマ作戦”を決行する・・・。

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 まず本作への僕の感想としては、実はこれについてはそれほど思い入れはないんですね。ずっとエヴァを観ていなかったとはいえ、ストーリーくらいは知っていたので、「おお、実際こういう感じなのかー。ラミエル綺麗だなー」くらい。とんでもない熱量の『新劇:破』の後にさかのぼって観たせいもあります(『破』についてはまたいずれレビュー記事を)。
 とはいえ、ヤシマ作戦の展開にはやはりぐっと来るものがあり。

 さて、最古の日本ロボットアニメの一つである『鉄人28号』に対して、いまなお時代の最前線を走るロボットアニメ『ヱヴァ』。父から子へ託されたロボット、少年にのしかかる重責、ロボットの暴走等々、ロボットものとして相通じる部分はありつつも、作品の本質は全く違い、かけ離れたものとなっています。

 前述した通り、『白昼の残月』は現実の(戦争の)歴史と向き合ったものですが、本作『ヱヴァ新劇:序』はその歴史をあらかじめ喪失している作品です。


 もう少し詳しく語るために、ある対談を引用しましょう。

 漫画原作者・批評家の大塚英志と詩人・思想家の吉本隆明(長女はハルノ宵子、次女はよしもとばなな)が、共著の対談集『だいたいで、いいじゃない。』の中で、1997年に『新世紀エヴァンゲリオン』をテーマに行った対談です。
 その中から、核心的な会話を抜粋します。

 冒頭で、大塚は吉本に『エヴァ』を観た感想を聞きます。吉本は、あまり把握できていないと言いつつも、『機動戦士ガンダム』の監督の富野由悠季が『エヴァ』を「病的だ」と批判していたことを挙げ、その違いを示します。

吉本「富野さんの『ガンダム』の場合には、戦争それだけを取り出してきて安定した話にするということにためらいがあって、そこだけまた劇画としては立体感があると思うんです。」

吉本「『エヴァンゲリオン』の場合ですと、戦闘あるいは戦争ということはもう昔、つまり古典的な話であって、倫理も肯定もへちまもない、大っぴらに描いている感じがあるんですね。主人公たちのためらいとか弱さとかの中には、戦争、戦闘行為、あるいは殺し合いに対するいろんな思いがよく出ているんだけど、戦闘場面自体をもってくるとそうじゃなくて、たいへん大っぴらに肯定的に描かれている。そこのところは『ガンダム』とちょっと違うのかなと思います。」

吉本「戦争なんて昔のこと、昔あった事柄に対する批評として描かれていればいいという感じが、『五分後の世界』にも『ねじまき鳥』にもありました。そういうところはやっぱり似ていて、一種世代的な新しさと特徴じゃないかという感じです。」

吉本「僕はちょうど太平洋戦争のとき学生だったからそう思うんですけど、描かれているほど見事に学校生活と戦争――僕は戦闘場面じゃないですけど、動員で河原の石を運べとか、そういうのをやっていた学生時代の経験なんですけど――その二つを精神状態としてはなかなかうまく切り離せない、『エヴァンゲリオン』の場合ほど見事に切り離せなかった。ですから、あの描き方も一種古典として戦争を見ている描き方だなあと、そういう感想を持ちながら見ました。」



大塚「『エヴァンゲリオン』の監督の庵野秀明君は僕よりちょうど一世代下です。僕は今(対談当時、1997年)三十九歳ですけど、要するに僕の父親たちはいわば戦争体験者の世代で、子供のころ父親たちから戦争の話を聞かされて、「うるさいよ」と反発していた世代ではあるんだけど、ただその中で、たとえば庵野君が「殲滅」という言葉を使うとき、それを不用意だと感じる感受性は、僕の中には多少残っていたんですね。ところが庵野君たちは、「殲滅」という一個の言葉の中に、なんら倫理的なこだわりを見ないでぽんと使うことができる。」

大塚「で、実際、『ガンダムにはわりと素朴な反戦思想が根っこにあって、それを吉本さんは富野さんが戦争を描くためらいとおっしゃったんだけど、そこがずーっと戦後のアニメーションのある時期までの葛藤のポイントだったように思います。」

大塚「(中略)戦争を描くという子供向けのアニメーションのテーマと、自己矛盾としてのそこへのためらい、それが戦後アニメ作品のリアリティをつくっていたように思います。でも、庵野君の『エヴァンゲリオン』は、そこがすぽんと抜けてしまった。その突き抜けた感じが僕には驚きで、あ、こういう子たちが自分の下の世代にやっぱり出てきたんだという感じは、僕も持ちました。良くも悪しくも戦後民主主義的なものから切断された世代というか、僕はそういうものの登場をどこかで恐れてさえいたのですが。」


 大塚と吉本の二人は、『エヴァ』の戦争(戦闘)描写のためらいのなさ、もっと言えば戦争への生々しい歴史認識や実感から切り離された世代としての庵野秀明について語っています。
 (ちなみに対談はこの後、宮台真司宮崎勤なども事例に挙げた時代思想論を展開していきます。)

 これは、なるほど確かにと思いました。『エヴァ』でのNERVや自衛隊の使徒迎撃やエヴァの激しい戦闘には、「戦争」へのメッセージ性のようなものはなく(少なくともメインではなく)、単なる特撮風の魅力的な戦いとして描かれている。 

 また、『エヴァ』は先行するアニメ・特撮作品からの膨大な引用から成るサンプリング・コラージュ作品としての側面もありますが、引用するのは対象の作品の描写やガジェットに留まって、その作品の時代背景にまでは及んでいない。たとえば、『エヴァ』に影響しているものの一つに『ウルトラセブン』がありますが、その描写のコピーは『エヴァ』のそこかしこにみられるものの、『セブン』当時の「戦争への介在」や「異種間理解」といった背景テーマは映し出されない。
 あくまでも、現実ではなくアニメ・特撮の歴史の参照。それは庵野監督というより、オタク全体の精神性の問題なのかもしれませんが。

 僕はこれを表現として“偽物”と捉える気はありません。その時代での、戦争への、歴史への意識の一つの側面を克明に映していると思います。戦争/歴史の当事者的立ち位置から遠ざかっているから本物じゃないっていう論は色々とアレだし。

 とはいえ『エヴァ』が生々しい歴史認識から切り離されているのは確かに事実。
 その意味では、『エヴァ』は『白昼の残月』の遥かな延長線上にある物語なのかもしれません。正太郎と鉄人が歴史を忘れまいと戦い続けても、結局世の中は歴史の忘却を繰り返し、ふとした拍子に現行の歴史そのものも失ってしまった(その比喩としてのセカンドインパクト)世界の物語として・・・。


 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』に話を進めましょう。
 TV版ラストで話をブン投げ、劇場版でファンと刺し違えて(笑)終わってしまった『新世紀エヴァンゲリオン』。そのケジメをつけ“健康的なエンタテインメント”として新生するべく始まった『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ。
 そうした経緯から、本作は他のエンタメ作品のリメイクとは一線を画しています。「やり直しであること」に物凄く自覚的で、旧作と新作との差異によって新たな物語を生み出そうとしている。観客も、旧作からのファンは作品のどこをどう改変するかに強く注目しました。

 つまり、『ヱヴァ新劇』は、テーマ的に内面に向かっていった旧作『エヴァ』が作った土台を再構築し変えていくという、旧作からさらにメタレベルで内面的な作品になったといえるでしょう。
 『エヴァ』自体の歴史というこれ以上ないほど生々しい記憶の集合体に、当事者自身として挑む。作品の外の現実の歴史から切り離された作品は、最後に残された作品自体の内的歴史を見つめるものになったわけです。 
 もう、『エヴァ』のテーマの「内面へ」の極致。

 しかし、『ヱヴァ新劇』がもう一つの側面で旧作と違うのは、内面的テーマを志向する一方で、「周りの皆/他者と繋がり」のテーマをさらに強めているということ。

 『ヱヴァ新劇:序』のクライマックスでは旧作とは違う大きな改変ポイントがあります。
 
 まず、ヤシマ作戦の前にミサトはシンジにNERV最下層空間にある第二の使徒を見せ、これと使徒との接触によって起こるとされる“サードインパクト”を防ぐために、皆が命懸けで戦っていることを示します。
 旧作では第二の使徒の存在が知らされるのはもっと後の展開でのことです。

 そして、ヱヴァ搭乗直前、碇シンジと綾波レイは言葉を交わします。 

「綾波は、何故エヴァに乗るの」
「・・・絆だから」
「絆?」
「そう、絆」
「父さんとの?」
「皆との」


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 使徒のコアを、日本中の電力を集めた陽電子砲によって貫通・破壊しようというヤシマ作戦。一発目を外してしまい、使徒からの反撃を受けて吹っ飛ばされるエヴァ/シンジ。陽電子砲のもとへ這い寄り、再び構え直す中、シンジの脳裏には友人からの応援が過ぎり、そしてミサトの「頑張ってね」という呼びかけに彼は「はい」と応えます。
 この再起も、旧作以上に丁寧に感情込めて描かれています。
 
 使徒の熱線から綾波のエヴァ零号機にかばわれつつ、二発目の陽電子砲で見事使徒を撃破。
 焼けつく零号機から綾波を救出したシンジは、半泣きで訴えます。

「自分には他に何もないって・・・そんなこと言うなよ
 別れ際にさよならなんて、かなしいこと言うなよ」
 

 そして綾波の「こういう時どういう顔をすればいいのか分からない」という言葉に、シンジは「笑えばいいと思うよ」と返します。この瞬間、旧作では綾波はシンジの顔にゲンドウの顔をフラッシュバックさせますが、本作ではそれはありません。
 ゲンドウの代わりではなく、シンジをシンジとしてみとめ、綾波は微笑みます。

 そして二人は、手を繋ぐ。


  このように、『ヱヴァ新劇:序』の改変では、他者・仲間/自分の外側と繋がること、それによって苦難を乗り越えることがテーマとして強調されています。最終的に自分の内面へと沈んでいってしまった旧作(特にTV版)とは、全く違う方向へ物語を進めようという庵野監督の意思の表れであるように思います。 


 『鉄人28号 白昼の残月』に話を戻すと、ラストで正太郎は歴史に埋もれず戦っていくことを宣言しますが、その動機になっているのは、義兄・ショウタロウとの短くも確固たる絆、そして彼の死に様でした。
 人と人との関係性から記憶が生まれ、その記憶の集合体が時間を経て歴史となる。
 その意思と力のメタファーとして、巨大ロボットがある。

 作品のスタンスや方向性は違えど、根っこでは『鉄人』にも『ヱヴァ』にも同じものが通っているように思います。


 そして両作とも、ラストシーンには「月」があります。
 『鉄人28号 白昼の残月』では、白昼の空に薄ぼんやりと浮かぶ残月をバックに、正太郎を乗せた鉄人28号が屹立する。
 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』では、シンジと綾波が微笑み合って手を繋いだ後、カメラは夜空に煌々と輝く月を映す。(そして月面で渚カヲルが目覚める) 
 たとえその在り方がどんなにかけ離れていても、鉄人の先にエヴァがいて。その証に、両者は姿は異なれど同じ月の下に在る。

 人は歴史を生み、葬り去りを繰り返して生きていく。その流れは不可逆だとしても、それを忘れず見つめ続けることに意味がある。
 そしてたとえいつか歴史そのもの全てを喪ってしまったとしても、自分を顧みて誰かと手を繋ぐことさえできれば、またゼロから始められる。ただ一つ残った自分自身の歴史と向き合い、また何度も何度も過ちを繰り返しながら、それでも前に進むことを夢見て。
 そしてひとの営みがどうであれ世界は何も変わらず、空にいつも月はある。
 だから、たぶん、大丈夫。
 
 そんなことを思うのでした。

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 ・・・うーん?
 結局何が言いたかったんだっけ。
 よく分かんなくなってしまったぞ。

 つーか、前の記事で長過ぎる文章は自重しよう的なこと書いてたのにこれだよ!
 コンパクトに書けるようになりたい。


   ***


 追記:ロボットアニメ史全体に通じていれば、また違った深い考察ができるのでしょうが、自分には無理でした・・・。


 追記2:文章中で対談文を引用させていただいた吉本隆明氏が、16日午前2時13分に肺炎で亡くなられていました。ご冥福をお祈りいたします。
 記事に挙げたのはまったくの偶然とはいえ、何かを感じずにはいられません。
 ふれた著作はごく僅かながらも、得たものは大きく、沢山ありました。感謝を捧げます。 

 僕等は後戻りできないということ、時間/歴史の彼方にひとが消えていくことのどうしようもなさを、リアルタイムで体感中・・・。 (2012.3.17)


 追記3:吉本×大塚の対談で出ていた『エヴァ』の歴史認識(感覚?)の問題は、『新劇場版:序』になってもやはり戦闘は戦闘として「大っぴらに」描かれていて、続く『破』ではその極限にまで行っちゃった印象がある(第8使徒戦の容赦ない市街地・山野の破壊っぷりとか)。
 『Q』はどうなるんですかねえ。予告では2号機が宇宙で戦ってたけど、それこそ本当に「戦争描写にためらいのない『ガンダム』」そのものになるのか? (2012.3.17)


 追記4:重要なのは、一番最初に書いた通り『白昼の残月』と『新劇場版:序』が「同年に公開されたこと」です。
 歴史の流れは確かに不可逆だけれど、歴史をどう読み解くか、どういう意識でとらえるかは自由自在。だからこそまったくスタンスの違う二作が同時に誕生できた。そこに僕は歴史の虚しさ以上に希望と可能性とを見出します。
 だからこそ、『白昼の残月』がもっと注目されてほしいですね。月は夜にばかり見るものじゃないぜ。
 (2012.3.20)

 追記5:旧作から『序』への改変ポイントの指摘が曖昧だったので、ちょと説明追加しました。(2012.4.4)


 参考文献

・吉本隆明/大塚英志『だいたいで、いいじゃない。』文芸春秋 2003
・『現代漫画博物館 1945-2005』小学館 2006


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テーマ:アニメ・感想
ジャンル:アニメ・コミック

tag:鉄人28号 白昼の残月 新世紀エヴァンゲリオン ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

Comment

うおっ! ボリュームたっぷりじゃないですか

覚悟決めて、後でまた挑みに来ます.

>ヒノキオさん

何でこんなに長くなってしまったのかと思ったら、
二作品分の記事なんだから長くなるのは当たり前でしたね。
でも、次にクロス考察記事書く時は、もっとコンパクトに分かり易く、を目標にします。

またどうぞ~

いざ読み始めたらサラサラ読めました、
まずこの2作を並べるのが面白いよね、
よくわからないけど大学の論文とかでこれ出せないのかな

エヴァを見て戦争認識云々について、
そういえば考えたこともなかったです.

ヤマト、ガンダム、セブン、太陽を盗んだ男を愛する
庵野監督なのにって考えると、不思議ですね
見た事ないけど「愛國戦隊大日本」にその回答があるんでしょうか

余談ですが、ばななちゃんの死を描いた小説を読んでたら
隆明氏の訃報を知りました。。。

しかし、例えばドイツ映画が未だに
生々しい記憶で背景に歴史をにじませるのに比べると
日本の過去との切断具合はなんなのでしょうかね

忘却の旋律が奏でられてる気がします.

>ヒノキオさん

コメントありがとうございます。
『白昼の残月』最高でした、ご紹介誠に感謝します。

いやー、かなり無理くりな理屈ですよ。
まず、ガンダムはじめロボットもの・戦争もの全般の知識が足りなさ過ぎて。

> ヤマト、ガンダム、セブン、太陽を盗んだ男を愛する
> 庵野監督なのにって考えると、不思議ですね

僕も吉本隆明の感想を読むまでエヴァ×戦争には思い至りませんでした。
たぶん、戦争的な要素はむしろふんだんに引用しているんでしょうけど、それを批評的には扱わず、特撮的娯楽に徹した、ってことなんですかねえ。
まったく戦争描写への躊躇いがないわけではないと思います。

> しかし、例えばドイツ映画が未だに
> 生々しい記憶で背景に歴史をにじませるのに比べると

ドイツ映画は立派ですよ、本当に。
『我が教え子、ヒトラー』でヒトラーを一個の人間として見つめるところまで行ってますからね。
日本は見習わなきゃいかんです。
とりあえず、南京発言で南京ジャパンウィークを潰した名古屋の河村市長には、ウチの大学の歴史学科にぶち込んで歴史基礎概論と日本文化学概論を一年受講させたい。

ちなみに日本史学界では、日本の戦後とそれ以前を安易に分断しないために、戦中から現在までを連続的にとらえる「貫戦史」的考えが注目されてきている、らしいです。

>隆明氏の訃報を知りました。。。

 彼が生きているうちに、もっと著作を読んでおきたかったです。
 最近、こういう後悔ばっかり・・・

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