スポンサーサイト

--.--.-- --:--|スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2012春アニメ・簡易感想③+旧作アニメ感想

2012.07.04 00:34|アニメ簡易感想
元々、今年初め頃からアニメ視聴数は減少気味だったのですが・・・。
先月から本格的に視聴時間が削られそして家のレコーダーが使えないというWパンチで、結局、最後まで継続して観れた2012春アニメは『Fate/Zero』『峰不二子という女』の二本になってしまいました。

その代わり、『ゾイド-ZOIDS-』『CANAAN』などの旧作アニメをDVDで時間ある時に観てました。

なので、この4本の簡易感想です。
何か長くなっちゃったけど。

※春アニメの最終回ネタバレ!

※誤字・誤記を修正。無校正ダメ、絶対。
・『Fate/Zero』

 原作:虚淵玄/TYPE-MOON
 監督:あえおきえい 
 脚本:ufotable共同 キャラデザ:須藤友徳ほか
 音楽:梶浦由紀 美術監督:衛藤功二
 キャスト:小山力也、川澄綾子、中田譲二ほか

 
 2011年秋から分割2クールで続いてきた物語も、ようやく終了。
 第一話から最終話までに、どれだけのキャラが登場し関わり合い退場していったかを考えると、何だかため息が。
 この作品だけはどんなに忙しくても毎週欠かさず視聴してました。

 ではラスト三話分ですが、各話感想を。

・第23話「最果ての海」

 1339255177418s.jpg

 ライダーVSアーチャー。
 ウェイバーを朋友と認め、幾千幾万の“王の軍勢”で英雄王に挑みかかるライダー。アーチャーはついに奥の手“乖離剣エア”を抜く――――!

 その王道主人公&ヒロイン(!?)ぶりに、主役のセイバー陣営と同等かそれ以上の人気を誇っていたライダー&ウェイバーコンビ。
 彼らの最大にして最後の見せ場であるこのエピソードで、自分の中では『Fate/Zero』はここで終わり、と思った方は結構少なくなかったのではないでしょうか。

 他の登場人物達が自らの業や他者との因縁によって悉く悲劇的結末を迎えていくのに対し、この二人は最後まで良好な影響を与え合い、アーチャーに敗れ去るも、それぞれ何かを得て聖杯戦争から退場していきました。
 かつて「バッドエンド症候群」に罹患していた虚淵玄氏は『Fate/Zero』を書くことでそれを克服した、というよりはある種吹っ切れたといいます。特にこのライダー陣営の結末を描けたのがブレイクスルーポイントだったんでしょうね。
 ちょっと穿った観方をすれば、このコンビはその結末のために物語的に「甘やかされていた」とも言えるのかもしれんですが。主人公じゃないのに主人公補正がかかっていた感があった。ウェイバーの可愛さもちょっとあざとすぎたかなぁって。彼らが他と同様にバッドエンドに堕ちかけるまでにいって、それでも先のような結末に辿りつけていたならば、より説得力があったんじゃ・・・なんて。
 まあ邪推ですかにゃ。


・第24話「最後の令呪」

1339872588504s.jpg

 “魔術師殺し”衛宮切嗣VS“代行者”言峰綺礼。一歩も譲らぬ死闘を演じた両者に、聖杯の泥が降り注ぐ。
 切嗣が目にした聖杯の忌まわしき真実。ソレは万能の願望器などではなく。聖杯の願望成就によって「救われる命」よりも「失われる命」が多い、それならば――。
 彼の選択は、かつての忠臣であったバーサーカーを屠ったセイバーに、さらなる絶望を刻むのだった・・・。

 切嗣の行動には、かつて大学の教養科目のテストでサンデル先生の「列車事故」の問いが出題されたのを思い出しました。
 簡単にいうと「あなたの乗る列車のブレーキが壊れて、進行方向にも5人、カーブした先に一人の作業員がいる。さあどうする」ってやつです。俺、どう答えたっけかな・・・。

 切嗣はそれまでの己の理念に従い、「全ての人類を滅ぼして家族三人で暮らす」ことよりも「聖杯を壊して(家族を捨てて)願いの犠牲がでるのを防ぐ」ことを選んだわけですが。これはつまり人類が滅びる可能性を潰したわけで、見方によれば、切嗣の望みである「世界を救う」ことでもあったんだよなあ・・・。積極的な救済ではなく消極的な防止だけれども。
 結局彼は、ナタリアさんが言う通りとことん「感情と行動が切り離され」ていて、それがどれだけ辛くても最後の最後までブレることはなかったんですね。


・第25話(最終話)「Fate/Zero」

 images26.jpg
 
 聖杯破壊による大災害の中から、士郎という少年ただ一人を救い出すことができた切嗣。
 彼は聖杯の泥に蝕まれて心身ともに衰え、最後の夜、士郎とともに月を仰ぎながら言葉を漏らす。
 「子どもの頃、僕は正義の味方に憧れてた」
 その結果の所業を悔やむ切嗣に士郎は言う。
 「俺が代わりになってやるよ」
 そして「to the beginning」が流れ出す。
 「任せろって。じいさんの夢は――」
 安心して事切れた彼の意識は、あの時あの場所へと―――。

 「ケリィはさ、どんな大人になりたいの?」
 「僕はね、・・・正義の味方に、なりたいんだ」
 
 エンドロール―――
 “綺麗な月の光は ただ静かに 始まりへ 朽ちて行くよ”
 

 この、終わり方がねえ・・・。

 実は、第22話放送したくらいの頃、アニメ終了までにどうしても待ち切れなくて、原作小説を最後まで読破しちゃったんですよ。
 それで自分的に「ラストはこんな場面でこんな演出だったらいいなあ」っていう想像が出来ていて。
 そしたら、実際に放映されたのが、上記のような、自分が夢見た通りそのものずばりのラストシーンじゃないですかーやだー!
 俺の“全て遠き理想郷”がここにぃー!って感じで、妙なところで感動してましたw
 

 個人的には大満足だったアニメ『Fate/Zero』。
 つくづくこれは「相対化」の物語だと思いました。
 定められたバッドエンドに向かう物語の中で、それぞれ確固たる価値観や生き方を抱えた者共が埠頭、川辺、橋などの「境界」で衝突する。そこで幾多の因縁が生まれ、各々の信条は他者に照射されてその絶対を崩される。
 貴方の理想は誰かの絶望。信念は犠牲を生み、忠愛は狂気に呑まれ、献身は欺瞞に堕す。
 しかしそうとしか生きられない彼らは苦悩しあるいは解脱し、その宿業のもとに命を落としていく。 

 ああそうか、そういう冷徹な物語そのものすら、ライダー陣営の存在によって相対化されているのか。じゃあやっぱりあの陣営のひたすら「陽」な物語はあれで良いわけだ。

 追記:そして主人公の衛宮切嗣こそ、ずっと人の命を「相対化」してきたキャラクターなんですよね。たとえ自分にとって大切なかけがえのない人であっても、他と等価の一個の人命としてかぞえ、より多くの命の救済のためならば容赦なく切り捨てる。
 そんな己の所業を超越した絶対の奇跡を願い、しかしそれによって救われる命以上の犠牲が出るというならば、その奇跡すら相対化して破壊してしまった。そして結果として、大聖杯から零れた泥による地獄絵図が発現してしまう。
 しかしその地獄の中に見つけた、士郎。自分の相対化の裁量から外れて生き残った命。それこそがまさに彼にとっての本当の奇跡だったのでしょうね。


 また、CGやエフェクトを多用したufotable独特の重厚な映像表現も見物でした。
 ボンズや京アニのような手描き感を重視した作画とはまた違うものですが、アニメの進化の方向性の一つとして、僕はこれはこれでアリかなと思います。
 特にバーサーカーをはじめとした3DCG表現(※後述)の熟達ぶりには驚きました。ああもうここまでやれるんだ、って。

 しかし、こうもエピソード・ゼロを丹念に描かれると、Fate本編のstaynight以降の新しい物語が観たくなりますね。staynightはHFルートの話が残ってるから、ディーンでもufotableでもいいからアニメ化してくれないかなー。
 とりあえず、また時間ある時に『Fate/staynight』観直そうっと。


 余談ですが、この前テニミュ好きの知人と本作について話したら「ウェイバーきゅん可愛いよぉ~ハァハァ」と悶えてばかりで、ああもうこの人は本当にアレだなって思いました。



・『Lupin The Third 峰不二子という女』

fjk.jpg 

 原作:モンキー・パンチ
 監督:山本紗代
 脚本:岡田磨里 キャラデザ/作監:小池健
 音楽:菊池成孔 美術監督:田村せいき
 キャスト:沢城みゆき、栗田貫一、浪川大輔ほか


 これも『Fate/Zero』と並んで、絶対視聴から外せないアニメでした。
 正直ここ数年失速気味だった『ルパン』シリーズが、こんな挑戦的かつ原点回帰的なかたちで甦るとは!

 監督、脚本、キャラデザ、音楽、どれをとっても色々と凄いメインスタッフですが、まず何と言っても新たな峰不二子を演じ切ってみせた沢城みゆきさん、ブラボー! 
 

 最終話のどんでん返しは良かったですね。

 不二子が囚われていたかに見えた過去は実は虚構で、不二子はやはり不二子だった。結局彼女の本当の過去は謎のまま。
 そして不二子は自分に過去を植え付けたアイシャを外に連れ出す。
 
 「アイシャ! ちゃんと見てる? これが世界よ。貴女の目で見る本当の世界。でも、貴女は何もできないわ!」

 それは、他者によって人格や人生を置き換えられるというオルタナティヴの否定。
 私は他の誰でもない、峰不二子という女―――。

 そしてコピー情報とはいえアイシャの記憶は不二子の中に残っているわけで、不二子がこれからも自由で刺激的な泥棒稼業を謳歌していくのは、ずっと囚われの人生を送ってきたアイシャに夢をみせ続けることにもなるんですよね。そう考えると切ないな。

 追記:僕だけかもしれないけど、『狂骨の夢』を連想したり。


 五右衛門が不二子以外のルパン一味と対面していない(VS次元は幻覚で顔が隠されていたのでノーカン)、などの事柄は『ルパン三世』1stシリーズに繋がるものなのだそうで。
 つまりこれも“始まりへ至る物語”、『Lupin The Third/Zero』ってわけだw

 また、10話で綺麗に終わったかにみえたオスカーが最終話でアレなことになってたのは(オスカー、見ーつけた!)、さすが岡田磨里脚本というべきか。これは続編期待してろってことですよねっ?

 少なくともスタッフがまた代わっても、沢城不二子はこれからも当分観られるわけだから嬉しいです。



 以下、旧作アニメ。

・『CANAAN』('09)

 CANAAN.jpg

  新米カメラマンの大沢マリアは、ライターの御法川実とともに上海を訪れる。そこで彼女が再会したのは、“鉄の闘争代理人”カナン。早々に事件に巻き込まれる三人。上海に蠢く謎の犯罪組織“”を率いるのは、カナンとの因縁をもつアルファルド。闘争の火蓋が切って落とされる・・・。


 PCゲーム『428~封鎖された渋谷で~』のTYPE-MOON制作のボーナスシナリオのアニメ化。なぜそんなニッチな部分を!?w いや、すげえ面白かったからいいんですけど。

 奇しくも、沢城さん主演&岡田脚本で、先の『峰不二子という女』に被るものでした。
 しかも監督は安藤真裕! きびきびして迫力のあるアクション演出に定評があり、『ストレンヂア』『花咲くいろは』などの監督を手掛け、『いろは』は映画化決定、そして『絶園のテンペスト』の監督も控えている、なにげに今ノリにノってるアニメーター/監督です。

 本作でもアクションが冴えわたっています。
 毎回毎回激しいガンファイト、インファイトの釣瓶打ちなんだけども、むやみやたらに絵を動かしまくるんじゃなくて一つ一つの動作をシャープにはっきりと描写しているので、殺陣が分かり易く、その分もっと見惚れる。

 一話か二話だったか『TAXi』のパロがあって、たぶん僕が知らないだけで、他にもたくさんアクション映画とかのモチーフが散りばめられてる気がする。

 この作品についてはまた単体で感想記事を書きたいです(いつになるかな~・・・)

 本作の安藤真裕監督といい『Fate/Zero』のあおきえい監督といい、アクション演出に長けているアニメ監督って、何かイイよなあ・・・。



・『ゾイド-ZOIDS-』('99)

z3.png

 大国間の戦争が続く惑星Zi。その星には、巨大な金属生命体“ゾイド”が存在し、戦争兵器としても利用されている。
 辺境の村の少年バンは、遺跡で古代ゾイド人のフィーネと小型ゾイド・ジークを復活させてしまう。バンはライオン型ゾイド・シールドライガーを駆り、彼女達の過去を探すための旅に出る。その途上で出逢う仲間、宿敵。
 いつしか彼らの旅は、惑星規模の戦乱終結の鍵を握るものに―――。

 OP→http://www.youtube.com/watch?v=_jfIRc6BlBI&feature=my_liked_videos&list=LL4E3VrWTxkoFX9CD61N8GPw

 ヒノキオさんにお薦めしたら何だか観返したくなって。全部ではないですが主要エピソードをいくつか視聴。
 つーか今からもう13年前の作品なのか・・・。90年代も遠くなりけり。

 いやあやっぱり面白い。

 もとはタカラトミーの売り出していた可動プラモデル「ゾイド」シリーズの世界観設定をもとにアニメ化された作品です。
 だから当然作中ではそのゾイド達が数多く登場するわけですが、そのどれもが当時プラモ少年だった僕には何とも格好良くて。アニメ観るだけじゃなくて、実際にプラモデルをいくつも買ってました。
 機械美と生体美が融合した独自のデザインワーク。子ども向け玩具ながら、その造形はどれもが一級品でした。

 例としてはこんなの↓

 d0bcc2e5-s.jpg imagesCA01C4D6.jpg


 実際、この作品の一番の見どころは、何といっても「3DCGで描かれるゾイド」にあります。
 99年当時、3DCGは日本のアニメではまだまだ未開の領域で、この『ゾイド』において実験的にゾイド達を3DCGで動かして演出することが試みられました。一般的に3DCGで描いたものは2Dの背景やキャラクターの姿に馴染みにくいものですが、そもそもゾイドは「巨大な」「生体メカ」であり、動きが鈍重だったり質感が違ったりしても不自然ではないという勝算があったのです。
 そして回を重ねるごとに3DCGの造形や演出テクは向上していき、終盤のGF篇にいたっては、前世紀の3DCGとしてはオーパーツかロストテクノロジーかって域に。
 3DCGの「使いどころ」を見極め、その「伸びしろ」に賭け、そして見事に成功してみせた作品だったと思います。

 z4.jpg b76674af-s.jpg

 現在の『Fate/Zero』で3DCGで描かれるバーサーカーが暴れまわるのを観て、「ああたぶんこの技術には『ゾイド』で培われたノウハウが多少なりとも受け継がれているんだろうなあ」なんて思うと、不覚にも涙腺が。
 今また、サンジゲンを中心にアニメにおける新たな3DCG演出が盛り上がっている中、その黎明期を開拓した『ゾイド-ZOIDS-』を再評価する意味はあるんじゃないかと思うんですよね。


 まあそういう技術的なことは置いても、一アニメ作品として素晴らしいもので。
 少年バンが仲間達とともに戦乱の惑星Ziを旅していき(物語前半)、やがては軍人となって国家規模の陰謀に立ち向かっていく(後半)という、少年の浪漫をくすぐりまくりのストーリーを一年以上にわたってじっくりと魅せてくれました。

 登場するゾイドもただの販促要素ではなく、緻密な世界観・戦争設定のもとに多種多様なゾイドが物語の欠かせない歯車として数多く登場しました。
 特に主人公バンの二代目搭乗機のブレードライガーはその造形・ギミックの鮮烈さで絶大な人気を誇りました。
 迫り来る敵にブレードライガーも正面から突撃していき、走りながら背中の二対のレーザーブレードを左右に展開、刃にエネルギー充填、擦れ違いざまに敵を一刀両断! という流れが最高に格好良かった。
 ここに、『ゾイド-ZOIDS-』の物語性、ゾイドの造形美、3DCG技術の全てが詰め込まれていました。


 自分が幼少期に観ていた最高のアニメとして、未だ忘れられない作品です。


 
 『ゾイド』のアニメシリーズはその後もしばらく続き、惑星Ziに戦争がなくなり、ゾイドでの戦いがスポーツ化した時代を描いた『ゾイド新世紀/ZERO』、『ゾイドフューザーズ』『ゾイドジェネシス』などが作られました。
 2006年以降はアニメもなく玩具の『ゾイド』シリーズ自体が中止状態にあります。
 願わくば、今の3DCG技術で描かれるゾイドアニメが観たいものですが・・・。
 

  ***


 うわー、何かすげー長くなっちゃった。記事を分けた方が良かったかな。
 またしばらくはブログ記事書けなくなりますが、アニメは何とか時間みつけて少しずつでも観ていきたいです。
関連記事
スポンサーサイト

tag:Fate/Zero 峰不二子という女 CANAAN ゾイド

Comment

何やらガチで忙しそうですね……。今期は江楠さん的に「どうしても見たい!」って作品はあったりします?


Fate/Zeroは登場人物のほとんどが切実な願いを抱えているのに、そのいずれも大なり小なり歪みがあって、望む答えに手が届かず果てていく様を徹底して描いてましたね。
 
>切嗣の行動には、かつて大学の教養科目のテストでサンデル先生の「列車事故」の問いが出題されたのを思い出しました。

まさにその問題をネタにした話を先日読んだばかりなので奇妙な符号にドキッとしました(笑) こういう問題で問われるのは正解云々ではなく解答者個人の正義なんですね。その作品で描かれたのは、問題の状況に関する情報を聞き出して、その上で自分の価値観・正義に符合する解を模索するのが目的である、ということでした。
あえて言えば「思考を停めないこと」が正解かな。「答えはないけど考え続けろ」ってのもひでー話ですが(笑)

切嗣が思考停止していた、というのも違う気はしますが、結局世界平和を為すための方法論は思い付かなかったわけで。
やり方は分からないけどどうにかしてくれ、という思い自体は多分誰でも持ってますよね。政治が機能してないだとか、景気が回復しないだとか、問題意識自体は多くの人が抱いているはずなのに、実際にどうすればいいかを考えてる人ってすごい少ない気がします。私も含めて、批判や不満なら皆言ってるんですけどね。

その点だけ見ると、世界平和の願いを方法論ごと聖杯に丸投げする切嗣の行動にちょっと親近感が湧いてきたりして。


士郎が切嗣の夢を受け継ぐシーンは、切嗣からしてみればささやかな救いなのでしょうが、「継承」の文脈としては正直どうなんだ?という印象が拭えません。

正義の果てには矛盾と絶望しかない事を切嗣は身をもって知っているわけで、同じ道を歩ませることが果たして正しい事なのか、ちょっと分かりかねて。切嗣の意志を受け継ぐことの意味をあの時点の士郎が理解していたとは思えないし、呪いにしかならないんじゃないかと。

多分、今後改めて士郎が自分の意志でその道を選び取るという文脈があるのでしょうね。ただ、staynightを知らない身としてはこの点でモヤモヤが残るラストだった、というのが正直なところです。
まあstaynightに程よく興味を喚起させる意図があるならばあれでいいと思いますが。

自分のブログでやれって話ですね(笑) 無駄に長いコメントですみません。

>ぽんずさん


> 何やらガチで忙しそうですね……。今期は江楠さん的に「どうしても見たい!」って作品はあったりします?

まあ、毎日忙殺されてるわけではないのですが、なかなかまとまった時間がとれず。ブログ考えるのも書くのも遅いんですよw
今期では、『貧乏神が!』『もやしもんリターンズ』などに注目してます。
あと、『謎の彼女X』の最終回を観なければ・・・。

> >サンデル先生の「列車事故」の問い
> あえて言えば「思考を停めないこと」が正解かな。

あれは、解答そのものよりもそこへ至る過程こそを問う命題ですからね。禅の公案みたいな。
もううろ覚えですが、自分はおそろしく保身的な式を立てて気がします・・・w

> 士郎が切嗣の夢を受け継ぐシーンは、切嗣からしてみればささやかな救いなのでしょうが、「継承」の文脈としては正直どうなんだ?という印象が拭えません。
>
> 正義の果てには矛盾と絶望しかない事を切嗣は身をもって知っているわけで、同じ道を歩ませることが果たして正しい事なのか、ちょっと分かりかねて。切嗣の意志を受け継ぐことの意味をあの時点の士郎が理解していたとは思えないし、呪いにしかならないんじゃないかと。

あー、これはまさにその通りでして。
そもそも士郎は冬木災害に遭った時点で人として一種「壊れて」おり、そして切嗣の夢を受け継いだことで、10年後のStaynight本編では、異常なまでの自己犠牲キャラとなっています。周りからも「人の皮を被った機械」とか「所詮借り物の正義」とかさんざんな言われようで。あれはまさしく「呪いの継承」でもあったわけです。
それでも彼が正義を貫くことができ、そしてセイバーが今度こそ救済されるかどうか、というのが『Fate/Staynaight』のみどころですね。切嗣が「相対化」の人間なら、士郎は彼の夢を継ぎたった一人の大切な女の子を守り通そうとする「絶対化」の人間といえるでしょうか。

だから、あの継承のシーンは決して綺麗事ではないのですが、それでも、切嗣から士郎へと、矛盾も絶望も内包しつつも純粋に正義を求める心が託される瞬間として、心動かされるものがありました。

そして士郎が正義を貫き通したその果てが関わってくるStaynightの別ルートの劇場版『Unlimited Blade Works』もありまして。「呪いの継承」の側面がより強調された苛烈な内容になっています。

また、「奇跡を願うことの是非」というテーマは、やはり虚淵脚本の『魔法少女まどか☆まどか』でも深く掘り下げられています。ちなみにこの作品でも時間停止&重火器を操るキャラがw

> staynightを知らない身としてはこの点でモヤモヤが残るラストだった、というのが正直なところです。
> まあstaynightに程よく興味を喚起させる意図があるならばあれでいいと思いますが。

そこを見込んだアニメ化でしょうねー。
とんでもねえ本編販促アニメですよw

> 自分のブログでやれって話ですね(笑) 無駄に長いコメントですみません。

いえいえ、閲覧者の方々の反応が読みたくてブログ書いてるようなものですから。長文コメント大歓迎ですよ。
僕もまたぽんずさんのブログでFateあたりの記事にコメントさせていただきますね。

2ndSeason始まった時に江楠さんが仰られていた
「相対化」という見方ですべてが繋がった気がして、
その後の話数にもひたすら納得しきりでした

唯一、ライダー陣営だけが
相対化の構造から外れている気がしたんですが、
想えばランサー陣営との対比は綺麗な程ですね
2期で1度くらい
ウェイバーとケイネスのカットバックが欲しかったなぁ

そして物語全体と相対化された位置に現れる士郎、
すべての理想が0に還るということはまた
新たな希望がそこから生まれることであると、
作者である虚淵の物語観さえそこで相対化されてしまったんでしょうね

数学アニメですね

峰不二子、なんと1stとの繋がりが考えられていたんですか!?
完全に好き勝手やってると想ってましたw

CANNANのアクションにはホント惚れ惚れしました.
ああいう純粋なB級活劇をもっと見たいです.

>ヒノキオさん

コメントありがとうございます。

> 唯一、ライダー陣営だけが
> 相対化の構造から外れている気がしたんですが、

そういや、マスターもサーヴァントも満足して退場していったという点では、ジル・ド・レェと龍之介のキャスター陣営もそうなのかもしれません。
ただ、あの二人は最終的に他者に致命傷を喰らわされる/否定されることで(エクスカリバー、狙撃)自己を完璧に昇華したわけで、やっぱり相対化のなかにあるのかな。

> 2期で1度くらい
> ウェイバーとケイネスのカットバックが欲しかったなぁ

それは僕も思いましたね。
まあ観てる側は否が応でも両者の対比をずっと意識してましたけど。
ちなみに原作小説では、VSアーチャー戦への出陣前にウェイバーがケイネスはどうなっただろうかと案じる場面があったり。

> 作者である虚淵の物語観さえそこで相対化されてしまったんでしょうね

だから、鬱屈を脱することができたんでしょうね。
他の物語と接続することで、自分ではどうしようもない作家性を補完できた、と。

> 峰不二子、なんと1stとの繋がりが考えられていたんですか!?
> 完全に好き勝手やってると想ってましたw

まあ、基本は好き勝手の暴走だと思いますけどねw
第6話ホント面白かった~

> CANNANのアクションにはホント惚れ惚れしました.
> ああいう純粋なB級活劇をもっと見たいです.

最近こういう作品少ないですからね(つっても本作も最近の09年だけど)。

安藤監督の『いろは』映画も『絶園』も楽しみです。
あわよくば勢いに乗って『ストレンヂア2』も実現しないかな~

No title

『峰不二子という女』過去記事へのコメント失礼します。
最終話のどんでん返しはホントに「えっ?」でしたね(笑)
EDの映像にもすっかり騙されました^^;

ところで、この作品は「フランス革命」がキーワードのように思うのですが…
東西冷戦に象徴される(第7話)国家間に産まれた核による恐怖、
薬(麻薬)によって支配される恐怖(第10話)あるいは男性の暴力による女性の恐怖、
そういった「恐怖」に支配された時代から、完全に脱却して自由になる、
新たな時代(世界)の創出が描かれているような気がするのですが、いかがでしょう。
第12話の台詞に「これは私たちの物語でもある。」とありましたし…
不二子はその新時代の象徴なのかなと。
漠然としたコメントでごめんなさい。江楠さんにご意見を伺いたく^^

>通りすがり。さん

コメントありがとうございます。

> ところで、この作品は「フランス革命」がキーワードのように思うのですが…

そうですね、「峰不二子という女」と「フランス革命」の関係は僕には定かではありませんが・・・、広義での「革命」や「冷戦」は本作の背景として確かに重要だと思いますね。

さかのぼって考えると、ルパン三世の原作漫画はまさに冷戦真っ只中(1967年)でスタートし、本作が明確に意識するアニメ版の1stシリーズは71年からのものです。
歴史学では、政治の時代は冷戦の70年代を限界として、80年代からは消費・個人の時代に入ったといわれます。そんな時代の政治・権力闘争をネタ的背景に利用して、宝を盗み快楽を求める「ルパン三世」は、そうした時代性を如実に反映した作品なのかもしれません。
もともと「怪盗モノ」自体、体制や権力への風刺とは非常に相性の良いジャンルですしね。

で、2012年の本作「峰不二子という女」が具体的に冷戦的時代性を示したのは通りすがり。さんの仰る第10話くらいですが、女性の支配と自由のテーマはたしかに全編にわたって貫かれていたと思います。

不二子が事件や男女との出会いを通じて、自分を支配しているものと欲している自由を刺激されていって、しかし最後には内面がフェイクだったと明かされたのは鮮やかでした。
そして彼女はあくまで徹底的に自由な存在として、男性の支配に翻弄されてきたアイシャに引導をわたすラストは、仰る通り支配からの脱却、新時代の創出のメタファーでしょうね。

そしてそれは前述した政治の時代から消費・快楽の時代への過渡期を示すものでもあり、「ルパン三世」の新生にして復古として最適なストーリーだったかなと。


えーと、答えになったかどうか分からないですが(自分でもこんがらがり気味ですが)、僕の考えは今のところこんな感じです。
また時間があったらじっくり考えてみたいと思います。

No title

>「峰不二子という女」と「フランス革命」の関係

まず第11話のパレードは、革命の記念日と言える「パリ祭」と思しきこと、

第10話の執事からルパンへの台詞に
「フロイラインオイレ(=フクロウの御嬢さん、つまり不二子)」
「ミネルバの梟は黄昏と共にようやく羽ばたく」(ヘーゲル著『法の精神』の言葉)
「絶頂期のナポレオンに世界精神を見たヘーゲルは、時代の終焉を感じ取った」等とあり、
また、伯爵の肖像画が、ナポレオンの著名な肖像画と同じポーズをとっていたことから
伯爵を「フランス革命」以降の時代の象徴としているように思いました。

そして、ウィキ「フランス革命」によると
(ウィキは資料として有効ではないかもしれませんが、アニメ談義ですのでご容赦を。)
「フランス革命が掲げた自由、平等、友愛の近代市民主義の諸原理は、
その後市民社会や民主主義の土台となった。
一方で、理性を絶対視し、理性に基づけばあらゆる社会の改造や暴力も
正当化しうるとした点で、その後の共産主義、社会主義、全体主義の母体ともなった」

とあり「フランス革命」が東西の対立構造の「種子」とも言えるかと。
東西冷戦以降はポスト冷戦時代とも呼ばれていますが(kotobank 「ポスト冷戦」)
「アイシャ(もしくは執事)」が「ポスト冷戦時代」を表し、
不二子はその先に出現するこれからの時代を表すのかなと思いました。
ですが、

>歴史学では、政治の時代は冷戦の70年代を限界として、
>80年代からは消費・個人の時代に入ったといわれます。
>そんな時代の政治・権力闘争をネタ的背景に利用して、宝を盗み快楽を求める「ルパン三世」は、
>そうした時代性を如実に反映した作品なのかもしれません。

>2012年の本作「峰不二子という女」が…
>政治の時代から消費・快楽の時代への過渡期を示すものでもあり、
>「ルパン三世」の新生にして復古として最適なストーリーだったかなと。

この江楠さんのご意見も大変捨て難いです。
「時代」がしっかり反映されたアニメは、大人の鑑賞にも耐えられ、
視聴者に「思考」する機会を与えてくれますよね。

長文、失礼致しました。
ご多忙のところ、貴重なご意見をありがとうございました。
返信コメント、お気遣いありませんように^^
非公開コメント

| 2017.03 |
-
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
プロフィール

江楠

Author:江楠
 
東海在住。 

コメント・TB・リンク歓迎です。

・好きな映画・アニメ
ホット・ファズ、晩春、妖怪百物語、ゾイド、ハガレン、ガッチャマンクラウズ など

・好きな漫画・小説
夢幻紳士シリーズ、修羅の刻、京極堂シリーズ、THE END OF ARCADIA など

ブログパーツ

Twitter

カテゴリ

最新記事

月別アーカイブ

最新コメント

最新トラックバック

FC2カウンタ

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

検索フォーム

QRコード

QR

ページtopへ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。